森林美学ドイツの起伏

 森林美学第3版まで第一次世界大戦前に発刊されている。大戦後、メーラーの恒続林思想が出版され、ナチス民族主義思想に利用された。恒続林思想の中に森林美学が織り込まれていたために、恒続林思想とともにナチスの思想として利用されることになったことになる。戦後、ナチス思想排斥によって、恒続林思想はドイツ林学の中から姿を消した。
 第一次世界大戦前にはマルクス思想を根底におく社会民主党は労働者階級の支持によって、ドイツ帝国連邦議会では第1党を占めるまでとなった。森林美学には、労働者階級に森林美の享受が配慮される文言がある。ナチスマルクス主義と対立するものであり、ナチスユダヤ人の排斥とともに、マルクス主義の思想を徹底的に排除し、ドイツ国内にはマルクスの著作は完全に排斥され、姿を消した。マルクスの著作が保存されたのは、ソ連においてであった。マルクスの著作の復活は第二次世界大戦後を待たなくてはならない。森林美学の社会的意識はナチスによって、排除されるものであるとともに、第二次世界大戦後もマルクスの復活の一方で、ナチスに利用された著書として、排斥された。この二重の封印によって、ドイツ国内では100年の歳月、森林美学は見失われたのである。
 第二次世界大戦後、シレジア地域はポーランドの領土となり、ナチス遺跡のアウシュビッツとともにフォン・ザーリッシュの森林経営地ポステルもポーランドの地ポステリンとなった。