原生林の回復 森の力

 人類は文明とともに森林を破壊してきたと言われる。古代文明は農業生産を土台とするが、農地の開発は森林を破壊したにちがいない。森林の破壊は原始時代の自然環境に適応を余儀なくされた状態からの脱出だった。森林破壊は文明の新たな世界−広々した眺望を切り開くものであったといえる。しかし、農地に適した場所を開墾し続け、森林が後退して僅かに残された状態で、森林の力に依存するようになったにちがいない。木材や燃料は森に依存せざるをえない。また、森林破壊は土砂の流出を招く。森林の破壊は資源の枯渇や自然災害の増大を招き、開発した地域を不毛な土地に変貌させ、やがては文明を衰退させたとの指摘がある。ギリシャ文明の衰退も森林破壊が土砂流出も招き、その土砂が川から運ばれ、河口に堆積して低湿地を作り、マラリアを蔓延させて住めない土地を拡大したこと、船を作るための木材を得ることが出来なくなったことによると言われており、マケドニアの力が増大し、アレキサンダー大王に屈せざるを得なくなったことも森林資源の枯渇によるものであったことを想定させている。広大な古代帝国の出現も森林資源をめぐる争いによるものであったかもしれない。しかし、ローマ帝国の拡大はゲルマニアの森林地域で阻まれ、やがて、ゲルマニア人からの侵略によって帝国の力は衰退していった。地中海沿岸の荒涼とした丘陵の荒地は古代文明の時代に生み出されたのかと感慨させられる。
 東南アジア、日本はどうであったのだろうか?水田による農業の展開は、水源確保と土砂崩壊への危険に細心の注意を払う必要があった。農業の展開はその自然の適地、湿原に始ったと指摘される。やがて農業技術が農地の拡大を漸進的に進めたといわれる。そうした農地開発は森林の保全を初期の場合から必要とした。森林を残すとともに、原始的な生活を行っていた先住民の勢力を温存させ、先住民の征服が必要であった。森林の一部はその自然力が神格化され、神社の神格、あるいは神の依代として神聖化された。しかし、木材採取や燃料、原始的な食糧採取の継続などの森林の利用が不可欠であり、その過剰な利用は森林の再生を阻害するようになった。人口増大、農地の拡大は限界まで達したであろうが、森林の減退も限界の要因であったのであろう。農業技術の開発は限界を超えるためのものであったともいえる。それだけ、森林を破壊するようになったといえる。しかし、水田を中心とした農業においては森林との均衡が持続性の要因であったといえる。同時に原始的な文化を継承させたのであろう。
 近代になって、農業開発と資源開発は新たな森林破壊をもたらすようになった。イギリスでは1600年代にエベリンの森林資源の枯渇などから、森林保全や植林が行われるようになり、ドイツでは製鉄のための燃料採取による資源確保のために植林が行われるようになったと言われる。ドイツではやがて木材資源再生のための林業が展開し、そのための林学が生まれた。さらに、工業文明の進展は飛躍的な人口増大を招き、都市を拡大させていった。人口過密な都市環境の悪化と市民社会の進展による生活環境改善の要求は、都市公園や緑地の整備、都市林の利用を不可欠なものとしたことは、多くの人が指摘するところである。森林は破壊の危機にさらされながら、生活環境や生活意識の中に新たな力を発揮し、過去の歴史につながる森林の効果を思い起こさせるようになったのである。