2007-11-01から1ヶ月間の記事一覧

都市の風致 都市風景の生成

長野善光寺前の通りを見に行った。11年前に整備され、かっての裏寂れた面影はなかった。古い蔵作りの建物や、昔ながらの看板を掲げた建物は、通りの変身に面映げにみえた。二十年前までは駅前から続く道の正面に善光寺の小さな山門が見えてきて、そこまで続…

都市の風致 街路樹

都市環境における快適性が問題となった時、アメニティという言葉が多用され、都市だけでなく、農村アメニティ、森林アメニティにまで使われることになった。イギリスの都市計画では場所の持つある雰囲気を表わす言葉として、場所の保全のために、役立てられ…

風致と風景 悪化する風景

風景が悪化していることを指摘する人は何人もいる。どんな点で悪化しているか、街路の電線、電柱、巨大な広告、郊外のパチンコ店の派手な建物、などがその例として挙げられる。そうした悪化の要素を取り除いてみた時の風景はどんな要素で構成されているのだ…

風致と風景 風景観照の意識

風景の知覚が、場所の条件に支配されていることは確かであろう。だからこそ、その場所で知覚される風景は、誰にも共通し、互いに風景の評価に対する同意を求めることができる。上高地の河童橋から写真を撮る人々は、ほとんど同じ方向にレンズを向けるように…

風致と風景 土地利用による景観形成

景観は地表面の状態である点、土地利用によって構成されると考えられる。広範な土地利用の主体は、農業によるものであり、森林状態を除去した土地の表面と表土(土壌)が植物栽培に利用される。森林と農地の拮抗が農村地域の景観を構成していると考えられる…

風致と風景 眺望景観

地表面の状態が「景観」であるとすれば、景観の広がりの眺めが眺望である。眺望の視野の広がりの中で地上に広がる景観と天空の広がりを合わせて眺望が成立する。眺望を絵地図として示すと、鳥瞰図となる。鳥瞰図の知覚は見下ろすことによって地上の平面的広…

風景の主体 現代の農民

江戸時代までは人口の90%くらいが農民であったといわれる。社会の基盤は農民によって成り立っていた。近代社会の基盤は工業であり、社会の様相は、農村から都市環境へと主眼を移行させたようである。しかし、農村環境が占める範囲は広く、都市環境に対する表…

風致と風景 囲繞景観

眺望景観に対して囲繞景観の概念を提示して、景観論を展開したのは、塩田先生達であった。景観の土地の広がりの中に見る場所を設定した場合、その場所によって視界の開けた場所と閉鎖された場所があることは経験上、わかることである。しかし、一見、眺望を…

森林公園時代 森林レクリエーション

森林レクリエーションとは、森林内での散歩、あるいは、ハイキング、観光などが頭に浮かぶが、森林という場所を除けば、戸外レクリエーションであり、その場所は山岳、海岸などの自然環境、農山漁村、都市環境でさえも含まれる。レクリエーションと戸外環境…

森林公園時代の背景

大芝公園林の遊歩道を散策する人に大勢出会う。多くが高齢者の方々であり、中には夫婦連れらしき人もいる。そうした高齢者の夫婦づれにキノコ取りを楽しむ人が多いようである。中には照れくさそうにして野草を取っている人もいる。大芝公園林は、アカマツ−ヒ…

風致と風景 主体の内面と外界

個人という意識が強く現れているのが近代である。個人の考えは主観であり、より外界を忠実に(真)に見ようとする所に客観がある。近代の哲学者は主観をいかに客観として見出すかに悩んだのであろう。客観としてとらえられた主観は、主体としての実体を見出…

風致と風景 風景の内的要因

風景の最初の印象は、いつだったか、小学5〜6年のことだったか、風邪をひいて診察に近所の医師が来ていた時、その医師が山の好きな人で、高千穂の朝焼けを見るために朝早く山に出かける話をしたことを覚えている。山の朝焼けの美しさを想像して憧れを持ち…

風致と風景 風景の要因

単純な風景は、恒常的な要素によって構成されている。広々した視野の中で遠景に抽象化されることによって、限られた要素による単純な風景が知覚される。人間が地表から天空を見上げている限り、風景の構成要素は、どこにおいても同じであるだろう。風景を眺…

風致と風景 単純な風景

風景は、視覚を中心にした知覚であること、環境の眺めであることの2点の指摘を重ねただけであるが、「視野に構成された環境の総合した眺めである」といってよいと思う。最も単純な構成が海原の風景、水面と空だけである。水面が大地に変わると、砂漠の風景…

森林風致 林内の雰囲気と印象

林内は林外と林縁によって区別されているといえる。同時に林冠によって天空が覆われている。林冠の閉鎖の疎密は林内への透過光の量−明暗と関係し、下枝高、下層の樹木の疎密に影響する。密度が高く、林内が暗くなることで、下枝高が高くなり、低木層も抑制さ…

山麓集落の神社における住民利用の変遷と空間変化続編

住民の神社空間の利用の変遷は著しく、また、それと同時に神社空間特に社叢の変化や位置づけが変遷している。その要因は集落社会と農業生産と山林利用の変化がもたらしたものと推察される。こうした変遷によって神社の位置づけが大きく変わっていると考える…

原生林の回復 森の力

人類は文明とともに森林を破壊してきたと言われる。古代文明は農業生産を土台とするが、農地の開発は森林を破壊したにちがいない。森林の破壊は原始時代の自然環境に適応を余儀なくされた状態からの脱出だった。森林破壊は文明の新たな世界−広々した眺望を切…

森林風致 林内の雰囲気と印象

森林の中に入ると、林外とは雰囲気が変わる。林内を歩くと様々なものに目がとまる。林外の開けた環境には雰囲気は感じられず、林内の閉鎖した場所で、雰囲気があるといえるのかもしれない。雰囲気が空気の塊りのようなものだとすれば、空間の器に入っている…

原生林の回復 ブナ林覚書

学生の頃、ブナの天然林は東北地方を中心に広大な面積を占めていた。しかし、奥地林開発とともに高齢の天然林は老齢過熟林と言われ、生産性の低い森林として、生産性の高い人工林への改良が政策となった。1970年代に長野県カヤノ平のブナ林を見たことがある…

森林公園の風致施業 藪の評価3

野山というイメージは、現在の若い人々にはないのであろうか?確かに、戦後しばらくまでは、存在した野山を探しても見当たらない。むきだしの裸地に潅木がまばらに生えるような山地やマツタケのでるようなアカマツの疎林など四国で育っていたころは、そうし…

森林公園の風致施業 藪の評価2

藪は見通しを悪くし、視界を閉鎖する点は野鳥にとっても同様であるらしい。猛禽類が小哺乳動物であるネズミなどを捕食する上で見通しのよい林内が都合が良いといわれる。しかし、ネズミは捕食されるような場所に出てくるかは疑問である。小鳥の巣も藪や枝の…

森林公園の風致施業 藪の評価

大芝公園林の低木層や林縁植生が刈り払われていれていく。アカマツ−ヒノキの二段林施業が行われてきた南箕輪村有林の間伐が行われたのは数年前である。保健保安林に指定して生活環境保全林整備事業が行われ、そこに住民団体として参加した。施業林から放置さ…

京都北山の思い出

京都北山といえば吉田鐡也君を思い出す。京都盆地を囲む山々は東山、北山、西山と呼ばれるが、東山は琵琶湖との流域の境界をなし、その山麓には寺社が配置しているのに対して、北山は農村があり、山地へとつながり、その山地は丹波、丹後へと連なっている。…