2008-01-01から1年間の記事一覧

森林美学

森林美学は、フォン・ザリッシュの「フォルスト・エステティック」から 新島・村山の「森林美学」へと日本に移植され、今田による森林美学の基本問題の歴史的追及がなされた。田村は、森林美学の林学への位置づけを志したが、アメリカの国立公園制度を日本に…

森林風致計画学

私が編者となって、森林風致計画学が出版されたのは1991年であった。その初版からまだ、170冊の在庫を残している。信州大学において、清水さんの担当で斬新となった森林風致の講義も、今年度でなくなってしまうことになった。 東京大学の悲願であった森林風…

森林風景計画学

塩田先生編集の「森林風景計画学」が出版された。35年前に発足した東京大学の「森林風致計画学講座」35周年を記念する意味があるとしている。著者に加わった人は、塩田先生の門下で、大学の研究室を担ってきた教員の方々である。私は、35年前の発足の記念事…

日本の庭ことはじめ1

岡田憲久著「日本の庭ことはじめ」 本著書は、造園デザイナーの立場で庭つくりの理解を深めており、近代の日本庭園に取り組んだ作家あるいは施主の庭つくりへの情熱が庭空間へ凝縮している様を明らかにしている。その考察は著者の主観的な判断といえるが、著…

下西条緑の会

はじめに 塩尻市下西条の緑の会の年末の作業に朝、駆けつけた。しかし、あいにくの雪で、作業は中止して、見回りと製作中の塩尻市内地形模型を見学することになった。緑の会は、下西条の裏山となる流域の山地の森林を育成して10年を越えて活動している。下西…

善光寺門前町の整備

はじめに 昨年末、善光寺門前町の並木としたカツラの生育障害に関して、T氏から研究所に相談があった。並木の管理をめぐって住民間に意見の齟齬があって専門家の診断を仰ぎたいとのことであった。しかし、そればかりではなく、門前町の賑わいを持続するため…

北海道の風景

はじめに 北海道には学生時代の5年間を過ごした。時代は高度経済成長の開幕する昭和35年から40年となる。その間に折に触れて各地を旅行した。特にどこかを目指したのではなく、未知な大地の北海道を見聞したかったからといえる。しかし、自分の経験はわずか…

森林景観と環境機能

はじめに 前から気になっている風景がある。谷あいの集落の背後の山地の沢に大きな砂防ダムがあって集落を災害から護っているように見える風景である。いつも、車で通り過ぎるので、先日、写真に撮っておいた。何故、そんなに目に付くところに砂防ダムが必要…

景観保全と環境管理

はじめに 農林業の衰退が多くの地域で問題となっている。農林業の衰退は、農林地の放置をもたらす点で、地域の環境問題に波及する。木材と食糧の輸入が増大し、国内生産の比重が低下していったことが、直接的な衰退の原因であろうが、工業生産の増大と経済発…

自由な空間

土地の所有は、所有者に土地の自由な利用をもたらすが、所有者以外には利用が閉鎖されるために不自由な空間となってしまう。都市を構成する住宅は、所有者の個人が自由に利用できる、敷地と住居を提供している。個人の自由を確保するために、周囲の囲障は強…

景観の時空スケール

景観が地表の状態である限り、地表の最大限は地球であり、その延長は一周すれば終わりである。地表から飛び立ち、鳥瞰図として地上を眺めた時、地表の状態の全体像が知覚できる点で、景観の概念を具体化できるといえる。大気圏を越えた天空には、重力によっ…

風致の趣

はじめに 風致は「趣き」あるいは「趣のある風景」などと辞書に記されている。おもむきとは顔が向くことを表している。そして、「おもむく」は目的とする場所に出かけることを表している。趣旨は目的の説明である点で、目的をもって出かけることに連結してい…

内部と外部の関係

はじめに 人間の主観的意識による外界の認識は、哲学上の大きな課題となっていたように考える。戦後風靡した実存主義も、主観的意識である個人が、外界である社会状況を克服するために「参加」として行動し、これが、意識を外化させる行為と考えられた。意識…

風致景観

はじめに 国立公園管理に当たる環境省関係者から「風致景観」という言葉を聞いたが、どのような意味が込められているのか、法律用語としてどのように使われているのか、確かめていない。いずれ、確かめたいと考えているが、少し、仮定として風致景観の意味を…

風致間伐のデザイン効果

はじめに 間伐における選木作業は、作業者の裁量によるところがほとんどである。その結果、作業者個人個人で選定が異なってくる。もちろん、間伐は収穫が主目的ではなく、森林生育が主目的としてであるが。その場合、選定されて残った高木が、一定の目標期間…

風景の存在感 大地と場所の関係

はじめに 景観の論議に存在感が無いのは何故であろう。景観が地理学の問題として客観的に認識する必要があるからであろうか、客観的であることで、存在感を失うこととなるならば、景観の実体もありえないのではないか。一本の樹木の眺め、それは単なる樹木で…

緑化事業

はじめに 緑化から思い浮かぶことは、国土緑化や道路法面の緑化まで思い浮かぶ。都市環境に樹木を残し、街路樹や生垣、公園や緑地の建設、推進も緑化と言われる。「みどり」の色彩は。植物の緑と結びついていることは確かであろう。失われた緑を回復させる事…

森林景観

はじめに 景観を、地理学で定義されたとおりに、森林景観を理解している。ここでは、その森林景観が、風景として知覚されることとの関係性を考える前提で、誰もが考えていることを記述しておこうと考えた。 森林環境 国土の3分の2が森林で覆われていること…

長野県の「観光と森林」

きっかけ 「観光と森林」という題名の本が出版されたのが、昭和39年である。その頃、観光利用の増大とともに、観光開発が進められようとしていた。東京オリンピックの開催、新幹線の開通などに示される、都市問題、交通機関の革新の開幕の時期であった。高度…

高い空、低い雲

今日は空一面が雲で覆われているようにみえる。しかし、地表と雲の隙間に遥かな山々が光の中に浮き上がっていて、視線は遠望に向かう。晴れた日には地表にさえも注意していないのに、遠望に意識を誘っているように見える。地表の空間 展望する風景にとって、…

林内空間の視野

はじめに 森林の中に入ると、五感が働き、森林を構成する多様な事物が作用して、一瞬混乱し、次第にその混乱に慣れてくる。森林は混沌として知覚され、見知らぬ場所にとまどい、行き先を見失う。日常に慣れ親しみ、分かりきった場所で行き先を見失うことなど…

風景と観光

風景は観光にとっては対象として扱われる。しかし、観光は利用者の行為であるよりも、観光産業の面が強く出てくるようであり、風景は観光資源として扱われることになる。観光産業にとって風景資源の育成は不可欠であるとえる。しかし、観光産業による風景資…

2-5 1-1 森林美学から森林風致論へ

森林美と森林風致の相違 絵画的な森林美に対して、森林風致は行動に伴う森林環境の五感による体験である。森林風致における印象的場面は、森林美として意識される。それ故、森林美は意識であり、森林風致は体験であるということが出来る。 林学における森林…

2-5 森林の恩恵と機能

元来、森林は自然的に成立し、また、破壊されても回復するものである。人類の進化、幾多の文明の成立はこの森林から恩恵を受け、また、森林を破壊し尽くして消滅していった文明もある。 現代文明のもとで日本の森林の現状は何を問題としているのであろう。20…

1-1 大地の復権

都市環境に自然が欠除していると感じることは当然なものとされる。また、逆に都市にも自然があるという言も受け入れられるだろう。自然そのものと感じられる森林、天然林はそういってもよいが、人工林にも自然は豊富だということは該当する。森林が利用され…

1-1 景観研究の意義

造園雑誌1986年の特集に景観研究の系譜が取り上げられている。景観は地理学の問題であるとすれば、造園学で何故、特集に取り上げたか疑問を持った。造園学が何を目指すのかによって、景観研究の意義が考えられるのであろうが、造園学自体の定義が不明確なま…

1-2 日常生活環境の知覚

主体の行動は、動機による目的に基づく計画が意識されている。行動は客観的であるが、動機は主観的である。行動する場所で環境の知覚、認知が不可欠であり、行動の計画にとって場所の客観的イメージが不可欠であるといえる。しかし、日常的な行動は習慣化さ…

1-1 風景と景観

風景における場所と景観の結合 風景を場所からの環境の知覚と理解することができるが、風土を成立させる自然的な要因が、視野の構成要素となって知覚体験されている。土地の広がりと天空が大気を媒介として体感と視覚を結合している。一方、風景を体験してい…

1-2 景観と場所の関係

景観の概念 景観の概念は、地表面の状態として定義され、地理学の用語とされている。地表面の広がり(空間)は地図として示され、地図には自然の要素として水面、地形と植生が分布として示され、人工要素として道路、集落、様々な建造物などが示されている。…

2-5 戦後の森林レクリエーション

はじめに 戦後を生き、時代を体験してきたが、様々な機会に山地や森林を利用体験してきた。森林風致計画に関わり、編著の教科書を著した。これらの過程も時代の動向に結びついており、現代には顧みられなくなっているだろうが、当時の必要性としたことを鑑み…