芝生の草抜き

 芝生の管理は草刈り機や芝刈り機による刈り込み作業が公園やゴルフ場の広い芝生地では中心作業と言える。しかし、庭園の芝生では雑草の混入で草抜きと芝刈りによって一面に芝生だけの広がりをつくる場合が多いのではないか?以前勤め先の演習林で職員の人と芝生の管理に雑草の除去の苦労話をしたことがある。野芝の芝生で一番の難物はクローバーではないか、いやクローバーは結構、容易な相手だと茶飲み話の題材となった。

 自分はそんな話の相手を懐かしみながら、今も芝生の中からクローバーを抜き取っていr。クローバーは芝生の間に根を下ろし、茎を八方に広げているので抜き取るのは困難であり、刈り込みをしても野芝と共に混生して絶やすことはできない。芝生の表面にクローバーの葉っぱが一面に混生しているので、その葉を引っ張っても葉が千切れるだけで地面に張り付いた茎や根茎は無事である。そこで、茎の先端に花を立ち上がらせるので、花を掴んで茎をたぐり、引きはがすように引っ張ると、根茎までの茎を抜き取ることができる。紺系の部分は地面に垂直の紺系を八方に出た茎をを集めて引っ張ると八方の茎と紺系を一遍に抜き取ることができる?こともある。多くの茎は根についたまま地面に残される。野芝の間に張り巡らされた茎の網の目から、少しづつ一本ごとの茎を抜くのがせいぜいであるが、うまくいけば一面の茎お紺系のネットワークを一挙に引き剥がすことができる場合がある。

 草抜き作業に苦労して1週間後にはまた、花穂があちこちに立ち上がっている。新たな茎が野芝のネットワークから浮き上がって伸び出ている。これは容易に引っ張って抜き取る事ができる。こうしたことを続けると、草抜きは次第に容易になってくる。」クローバーの茎の中心の根茎も力を失い、新たな茎とともに一挙に引き抜こがで見る場合も多くなる。草刈りによって浮き出たクローバーの拠点となる根茎を細いスコップで掘り出していけば、野芝からクローバーを駆逐することもできるだろう。

 いえいえ、そんなに雑草の除去は簡単ではない。造園を学ぶために大学院に進学した時の60年以上前の話しだが、大学の敷地の芝生の雑草を毎日抜いている3人のお年寄りの姿が目に浮かぶ、丁寧に雑草は全て除去されている。雑草の出てくる季節その作業は毎日いずれかで、際限なく続けられていた。雑草のない芝生が維持されたのはその3人の方のおかげだった。

 伊那の農村部では門の無い家が割合、多くあるようである。玄関口までの通路の部分でその家のお婆さんが草抜きを熱心にしている姿を時々、見かけた。庭に築山に灌木を配した家では、かっての仕事庭だった場所の築山は男性、玄関口の花壇と奥まった勝手口の小菜園は女性の受け持ちであるようであった。歳を取り花壇に余力が無くなった女性が家族のために玄関口への通路の除草に励んで、芝生の通路を維持していたのではないかと思う。家族の喜ぶ姿を思い無心に草むしりに励むお年寄りの姿に何か心温まる。

 ところで、庭造りは地面の清掃から始まるという。草抜きと同じように庭や道の清掃は大好きである。また、清掃は一日の始まりである。造園の結果、出来上がった庭園や公園の管理も清掃と雑草除去、枯れ枝などの除去によって日々、整備されてこそ維持できる。広く戸外環境の改変を造園とすれば、環境を維持管理するとともに、これを環境改善のための造作となる造園は持続する生活循環のための環境改善ということになるのだろう。

 しかし、田舎の環境を離れた都会人にとって、庭は田舎の生活への魅力となるが、その管理の負担は田舎への拘束となる事が頭によぎった話を読んだ事がある。この都会人は落ち着いた生活、老後の生活をどこにえられるのであろうか?