山麓集落の神社における住民利用の変遷と空間変化続編

 住民の神社空間の利用の変遷は著しく、また、それと同時に神社空間特に社叢の変化や位置づけが変遷している。その要因は集落社会と農業生産と山林利用の変化がもたらしたものと推察される。こうした変遷によって神社の位置づけが大きく変わっていると考えるが、今後の神社のあり方と社叢育成の目標にとって、集落の変容と神社空間の利用と社叢の実態を考察することは重要な意義があると考える。前回、事例の普遍性を指摘したが、今回、事例を通じて考察の視点を論じておきたい。これは3日後の支部大会に研究発表する内容となる。
 明治時代になって、封建体制下の農村の状態は、行政組織、土地所有、税制、農作物、商業、交通などの条件が大きく変わり、その影響を行けて変容したことであろう。神社においても、神仏分離などの政策とともに住民の意識変化があったことであろう。しかし、農業生産の共同や山林資源の利用などにおける集落共同体の体制は持続していったといえる。神社の氏子組織とともに祭礼なども持続し、神社空間は共同体の中心的な活動場所としての機能を果たしていた。こうした状態が戦後しばらくまで、持続していたと考える。この時期の神社空間の利用を原型として、その原型を成立さていた要因軸を推定し、その要因軸の変化が原型の変容をもたらしたものとして考察を進めるものとする。
 変容の時期として1960年代の高度経済成長期が考えられ、その後、高度経済成長期の持続として現代までの間に1990年代のバブル経済期までを考え、以後を現在として変容の時期区分とする。聞取り対象とした住民の最高齢が80歳代であることから、1940年代から1970年頃までを原型状態とし、1970年頃から1990年頃を変容期、1990年頃から現在までを現状と区分した。
 神社空間は心域を中心にして、前域と後域の空間軸で構成され、祭礼、集会と遊び、聖域として利用が前域で山麓に沿って展開する集落空間に交差する生活空間軸を構成する。また、中心の心域が農業生産の共同を進める祭礼などの行事と森林の共同的規制における聖域化の役割を果たしながら、後域が森林に連結し、前域が農地に連結する点で土地利用軸を構成する。さらに、神社空間の利用の年齢層による役割分担を通じて、集落の社会構成を結合する軸となる。以上の3つの軸の交差した中心に神社空間と心域が位置するという関係がある。こうした古く、自給的な共同体の中心としての神社が、共同体の解体によってその中心性を失いながら、なお、共同体再生と持続に一定の役割を持とうとしていることが3つの軸の交差の視点から注目した。写真は下古田神社
生活空間軸− 1970年代、自動車交通の普及、生活行動圏の拡大、年齢層による格差拡大
土地利用軸  化学肥料、役畜使役の衰退は山林資源の利用を減退させた。通じて農業と森林利用との不可分の結びつきを消失させた。
社会構成軸  兼業化、機械化、施設整備は、共同作業、施設管理の共同を著しく減少させ、社会構成を非農家の増大、高齢化、流入居住者の出現と変容させた。
3つの軸の変容による神社の利用と空間の変化 多様な利用の衰退と心域の利用の持続及び前域の利用変容 後域の拡大と聖域化−山林との結合の衰退。社叢の天然記念物指定。
写真は上古田神社