風景の要因

 風景の要因として重力を上げたが、風景要素の形態や変化、要素間の関係に作用する要因となるものである。風景を知覚し、理解しようとする時、その風景に内在しているものが何かを究明しようとする。風景画家はその究明を絵画に表現する。それぞれの画家はいかに風景に内在した要因を表現しようと腐心したことであろう。その究明は日々の観察と霊感によって得られることを、画家の記録が示している。レオナルド・ダ・ヴィンチの手記やコンスタブルの記録などに、それを見ることができる。自然の観察は、自然科学に通じているが、観察は自然の多様な要因を全体的、経験的に認識するのに対して、科学は要因を限定した実験的条件を設定して、自然の個々の現象を法則的に認識する。自然科学によって得られた法則は、自然の要因の観察に役立てられ、日々の風景の知覚に科学的な知識が含まれている。しかし、経験は事実であり、知識は真実であるのしても、想像である。経験と想像との一致を確認することによって、想像は事実としての真実となるであろう。深い観察に基づく経験は、広大な科学的知識に結びつく可能性がある。広い知識は、経験を深め、観察を鋭くすることにもなる。
 外界の自然に対する普遍的な知識は、一つ場面の経験に理解を深めるが、経験のすべてを説明することができない。光と色彩に関するニュートンゲーテの対立は、科学と経験の相違を明らかにした例として有名である。科学の客観性に対して、経験には主体の内的要因が含まれる。内的要因―感覚や心理も、心理学として科学たりうるが、主体の意志と行動としての自由の領域である。