風景の主体 住民の意向

 国と都道府県、市町村とは行政組織として中央集権と地方分権とをつなぐものとなっている。しかし、国と都道府県の中間に地方、都道府県と市町村の間に広域の連合組織が機能し、より複雑な関係が生まれている。都道府県を包括して、道州制をという論議も生まれている。主権としての国民、住民の声が、行政にいかに反映するかにとって、自治組織のあり方も問題となる。そうした行政と自治との基礎的関係として、住民ー自治体ー広域連合によって地域組織の実体がどうなっていくかかを検討する必要がある。ゴミ処理問題検討で広域連合の検討に加わり、ゴミ中間処理施設の用地の検討で市の委員会に加わって、散見したことから、考えてみた。
 火葬場、ゴミ処理施設は、周辺住民から迷惑施設として嫌われ、ゴミ処理施設はダイオキシンなどの有害物質の排出から危険施設として排除されることが多い。施設周辺の住民は、地域としては必要なことは理解しても、集中化して巨大となった施設の近接には耐えられないと感じることは当然である。広域連合のレベルで必要とされる施設を連合最大の市が受入れることはやむを得ないことであろうが、その用地を地区が受入れることを住民が納得できるかは、難問であるといえる。当然、受け入れ反対の意見が出てくる。施設が存在する悪影響が住民の許容限度を超えるものであるなら、その反対は正当となるであろう。しかし、許容限度以内であれば、反対理由は希薄となり、住民間での支持も得られなくなるはずである。
 市域全体に比較検討する上で、住民への悪影響の可能性が最小となる地区と広域連合が要求する施設用地としての最適な地区の2つの要求が一致してくればよいが、そうはならないことが多い。影響が限度を超える地区と用地として適合しない地区を除外し、悪影響が最大な地区と施設用地として最も不適な地区から消去していき、最後に残る地区の用地が、最適ということになるのであろう。そこまで検討した上で、住民の意向はどのように尊重されるべきなのであろうか。地区間で相対的な環境悪化と広域施設を受入れたことへの補償とが相殺される点に了解点を見出すことになると考える。用地検討委員会は、公開とパブリックコメントの募集によって、市民及び地区住民への意見交流を行い、検討を進めた。最終的な結論と用地選定をどのような論拠で行うかが、問われている。必要とされる検討を行ったが、個々のの検討の総合的な判断が求められている。また、住民の意向の尊重が、最後の課題となっている。
 生活の向上は、環境の改善によって実現することを、40年前の国民生活白書が課題としている。また、公害問題のように、環境悪化は生活の根幹である健康を危機にさらした。住民は居住を開始し、生活を通じて地域に定着していくことによって、生活環境を確保できるようになるだろう。さらに、生活環境の持続のために環境悪化を防ぎ、生活向上のために環境改善を図っていくことで、住民生活と環境の主体となっていくといえる。行政への住民参加が求められていることは、このような主体的住民が増大することが期待されていることを示しているのであろう。今後、住民と一体となった行政が必要であり、住民の必要とする共同組織としての自治体の確立が求められるのであろう。