風致と風景 山村住民の風景意識

 オーストリアチロル地方がある、先日、長野県は日本のチロルということが、2回話のなかで出てきた。私はオーストリアに行ったことはないのでわからないが、アルプスを含む山岳地域であるようである。伊那にもマッターホルンを愛好するグループがあるようで、中央アルプス駒ケ岳の山開きには、そのグループが出演していたことがある。チロルのイメージは、アルプス山麓の牧草地に点在する村、のどかに暮らす住民といったものであろうか。では、長野県の地方イメージはどうだろうか。山岳景観、盆地、谷に分断した生活域、農業地域と森林の緑の広がり、冷涼な気候、休養地の点在からチロル地方に類されるかもしれない。しかし、住民としてみれば、長野県のイメージよりも、伊那谷、木曾谷、松本平、善光寺盆地、佐久平といった分断した地域のイメージの集合という感があるのではないだろうか。これは、自然環境を保持した山岳地域を主にするか、生活域を中心とする、谷、盆地を主にするかによる違いであり、生活の主眼が後者に置かれていることによるものだろう。
 自然環境と生活域の重なりが大きい地域が、山村である。山岳地域の内部に展開する農林業をより所に成立した村落は、チロル地方のイメージに近いのかもしれない。しかし、日本の山村は過疎が問題となり、牧歌的な地方イメージを意識させるゆとりは生まれていないではないだろうか。南アルプス山麓三峰川流域に成立する長谷村において、景観計画のための住民意識調査が行われたので、厳しい自然環境と過疎の進行している山村住民の風景評価の実態を考察してみよう。
 長谷村を概観してみると、明治にウェストンが南アルプス登山のために市野瀬の旅館に泊まり、その主人が親切に応対してくれたことを記している。当時、市野瀬は秋葉街道の宿場となるような拠点であった。また、当時は山林資源が豊富にあり、山村住民の生活が確保されており、ウェストンはそうした山村住民の気質を感じたのであろう。しかし、戦後、長谷村の状況は大きく変わった。森林開発、三峰川のダム建設、過疎の進行による森林資源の枯渇、人口流出のために、山村の豊かさは失われた。農林畜産業の衰退を、観光開発によって挽回しようとしたが、それも失敗に終わった。こうした過程から、休養地、風景地となる場所が生まれ、変遷した。すなわち、三峰川渓谷、美和ダム、鹿嶺高原、南アルプスである。
 村外から来た人は、国立公園として南アルプスの自然景観を評価するであろうが、住民は三峰川渓谷と美和ダムを評価する。集落は三峰川に沿って分布しており、生活域の景観を評価している。鹿嶺高原は集落の裏山であり、放牧によって草原化していた。休養地として利用されるようになったが、観光開発が計画され、その計画は頓挫した。放牧が停止され、草原は森林化した。そのため、あまり、評価される場所ではなくなった。住民にとって南アルプスは厳しい自然環境であり、開発には災害の危険が伴った。森林資源も枯渇し、評価できる場所では無くなったといえる。
 住民の景観育成の対象は、秋葉街道の再現となった。かっての生活の根幹となっていた秋葉街道に回帰していこうとしている点に、山村住民の心情が現われている。山村の環境のなかで、生活は都市化し、周囲に満ち溢れた山林資源を省みることもできなくなり、村外の人が評価する自然資源にも、災害の危険などによって断絶している状態を是認しているわけではないことを示しているといえる。広域合併によって自治体から一地区へと並列するようになる中で、山村住民の特性を自負する気概を示していると考える。