場所と場面の構造 限界集落

 山村は厳しい自然条件の中にも、自然の恵み豊かな場所であったから、人々の生活が成立していたのであろう。厳しい自然条件が自然の恵みを少なくし、僅かな生活の可能性を奪うような場所には、人は住めない。しかし、日本の集落は山間奥地にまで広がっており、ただ、隠れ里のような集落だけではなく、厳しい条件の開墾と限界的な生活で成立した集落も見られたであろう。柳田國男は近代産業の発展とともに、離村する人々が増大し、廃村となる集落があっても、個人から見れば、厳しい山村の生活から、生活向上となる都市の生活となるのであれば、自然の動態ではないかと、述べている。
 山村の人口流出、過疎といわれた問題の現出が指摘されて、久しく、日本全体の少子化における人口減少が問題となっており、山村はその衰亡の危機が間近となってきている。衰退に危機が最も大きい集落を限界集落と呼ぶのであろうか。今日、恵み豊かな山村にまで、社会的要因から限界に立たされていく可能性が生じている。かって、鎖国状態の中で3000万人程度の人口が維持されていた。明治以降の近代化で、その4倍から5倍にまで人口が増大していることが現状である。それでいて、耕作地が放棄されて、山村から漸次、人口が撤退していくとすれば、食糧自給率などが低下していることがその要因となっている。
 人口減少で近代産業が衰退するのであれば、都市の人口減少がまず、生じるべきであるのに、山村からの人口撤退となるのはいかなる事態であろうか。かって、農村から都市への人口流動は、不景気になれば、農村に帰郷する安全弁があった。近年まで、退職後農業ということも言われた。しかし、農村に帰郷できる人は少数であり、それらの人も退職後の働ける年数は限られている。人口が山村から撤退し、都市部などに集中していくことは、ますます、自給率を低下させることになるだろう。
 かって南米に開拓民として移住することを一瞬、夢見ていたことがあるが、今日、国内山村の開拓移住が必要となっているのかもしれない。でなければ、外国人による開拓が行われることも考えられ、わずかな兆候も生じているのではないだろうか。実際は、開拓の困難はなく、農地を継承して農業参入をするだけの容易さがある。撤退の限界が、進出の前線へと転換する可能性はないわけではないといえる。
 山村に住まない人間の不遜な考えかもしれないが、集落ごとに限界度、前線度の評価を行ってみるのはどうであろうか。衰退の危機を予測し、危機に直面する前に、前線となる可能性を検討しておくことが、必要とはいえないだろうか。何の方策も無いまま、限界集落は将棋倒しに進行していく可能性もあり、都市集中、都市への生活依存も経済衰退によって挫折する危険もあるだろう。