景観の時空スケール

 景観が地表の状態である限り、地表の最大限は地球であり、その延長は一周すれば終わりである。地表から飛び立ち、鳥瞰図として地上を眺めた時、地表の状態の全体像が知覚できる点で、景観の概念を具体化できるといえる。大気圏を越えた天空には、重力によって到達できなかったが、人工衛星はそれを可能にし、人間が宇宙に飛び出すことになった。そこで、地球を景観として目にすることになった。Gogle Earth によって、地球から、各地の航空写真へと、マクロからミクロへと瞬時に目にすることができる。それは宇宙から地球への下降へ距離を狭めていくのである。宇宙についての基礎知識(宮本正太郎著、講談社学術文庫1977初版)も日常化する中で、宇宙からの地球が景観として知覚され、夜空の天空は宇宙への視界となっている。空想的な宇宙戦争や宇宙への自由な航行もまた日常化している。何光年、何百光年、何億光年もの宇宙の広がりも、マクロな空想的な景観として意識されている。しかし、その宇宙の生成は物質の極小のミクロな粒子の世界に由来しているとされる。地球の生成、生命と人類の誕生も、宇宙のわずかな部分に過ぎず、物質の変化と生命の進化の一つ事例と考えられる。われわれの知識は、時空の極大と極小のスケールに到達し、空想的に視覚化も行われている。
 しかし、地上の景観に生活の根拠があり、それは人類の原初から変わる事のない現実である。しかし、物質の神秘を解き明かす自然科学の進歩は、生活の仕方を変化させ、自然環境を改変して、景観を変化させていった。自然の神秘が解き明かされるにつれて、神秘への空想は現実的な空間に転換した。その現実的な景観と科学的な空想による景観が、意識の中で交差し、現実の時空スケールを、極大から極小へ、と延長させている。