風致の趣

sei-fuchi2008-11-11

はじめに
 風致は「趣き」あるいは「趣のある風景」などと辞書に記されている。おもむきとは顔が向くことを表している。そして、「おもむく」は目的とする場所に出かけることを表している。趣旨は目的の説明である点で、目的をもって出かけることに連結している。趣味は自由に考える目的によって行われる行為である。このような言葉の解釈から、趣きは注意、行動、目的の意識に連結している。しかし、風致を趣きと言ったときは、場所に生じた趣きであると考えられる。ある場所に風致があることで、趣きとして風致を感じる。場所への判断とそれを感じる主体の意識の関係が「風致」を成立させると言ってよいのであろう。

場所に生じる風致
 場所の状態として風致があるかないか、どのような風致なのかが、判断されるということは、どういうことであろうか。場所と場所の環境を構成する事物や要素からどのように風致が存在しているかであるが、ここに趣きという言葉のもつ目的と目的に向かう行動から考えてみよう。場所には人間の持つ意志は存在しないが、その場所の条件や要素と事物の相互関係によって、場所の環境全体が向かう共通した動きが生じて、その動く方向に擬人的な意志、目的を見出すことがある。端的には樹木や植物が風の方向に揺れ動く風景は、風致といってよく、光線や、事物相互の対比的な動きや反射で、その風致は、印象を強める。風致は、要素や事物の調和した風景であり、環境全体の総合的な方向性が生み出されている場所への判断といってよいのではないだろうか。

風致を感じる主体
 主体が赴いている場所に風致があると判断されても、主体が風致を感じるかは別問題である。しかし、場所への判断は注目し、注目することは印象を喚起させる契機である。また、場所の状態を判断することによってその場の行為の意志が決定する。風致の判断が行為の意思決定に作用して、風致を味わう時に、主体は場所に同調すことが出来る。その場所の環境に同調して一体感、共感を持った時を、風致を感じると言ってよいのではないだろうか。
 また、赴いた場所に来ている目的が、風致を味わうことであれば、その場所の風致の存在は、すぐさま、風致の環境に一体化できる。多様な変化を作り出す風致によって、赴くままの自由な意識となる風致の感性が喚起される状態が生じることが、場所への一体感としての風致といえるのであろう。

環境としての風致
 風致を感じさせる場所の環境は、地上の時間的変化が天空(日照)の変化によって決定づけられている。しかし、天空の変化と地上の変化を関係づけているのは、大気である。大気は人の呼吸、体感する皮膚の感触によって、空間を主体に結合している。風致の趣きは、大気が主要な要素として作用しているといっても良いであろう。
 大気は気温、湿度、風によって体感されるが、気流となる風が大気の変化をもたらす。大気は呼吸によって嗅覚を刺激し、風が匂いや香りを運ぶ。また、風が雲を運び、雲は天空より雨をもたらす。雨は土壌湿度を高め、気温の変化とともに植物の生育に影響を与えて、季節変化を生み出す。風は赴くままに変化し、その吹く方向に植物を傾かせ、律動的な変化を作り出す。風によって音が生じ、植物によって虫や鳥獣の生活が営まれる。
 風にもたらされて地上の環境が全体的に変化していく点で、環境の風致を作り出しているといえる。風が場所の風致を作り出し、その場所で生活する人々の風土を形成する。人は環境の中に事物の風情を感じ取る。風景は風致を生み出す風の大気を通じて景観を知覚するものである。