風景の模型(4)

はじめに
 森ノ口様、しばらく、旅行に出ていたので御返事が遅れてもうしわけありません。雲水ではありませんが、親類への挨拶回りで、九州にまで行ってまいりました。18日にはじめにを書き始めたのですが、続かずに再出発です。模型論を、空間に展開したいと思います。遠景と近景の関係に質問がありましたが、後日に回答を見出したいと思います。模型は生活空間の実体ではないけれども、実体のイメージで、実体以上に生活空間の全体像を貴兄の言う「かたまり」を意識させると思うのですが、どうでしょうか。そこに、空気が意識されているということですね。「全て」は「空気中にある全てのもの」ということですので、「全ての事物は空気中にある」と言い換えれていいのでしょうか。空間は空気で満たされており、空洞もまた「かたまり」なのでしょうか。

生活空間
 学生時代に西山先生の住居学の講義だったと思うのですが、聞きに行ったことがあります。原始人は手頃な洞穴を見つけ、安全と眠りの平穏を確保し、それが住居の始まりだった話が印象にあります。岩石はかたまりそのものですが、その窪みに人が生活空間を見出すことになったわけです。洞窟は岩石の床、壁、天井で囲まれ、入口が一つであることで、安全が確保された空間といえます。しかし、空気は洞窟の中に閉じ込められ、人はその空気のなかにあるということになります。
 空間は宇宙に広がり、その空間を満たす大気も引力によって引き寄せられる気体の物質であるのでしょうが、人間は空間を区切り、その空間に空気を閉じ込めて、調節して生活しているといえます。建築は洞窟の空間を薄いシュルターと壁によって作られ、住居の内部空間を包んでいます。それを外面から見れば、実体となるかたまりですね。建築物というかたまりが、空気の中に存在していることによって、建築が周囲の空気と連続して、建築を中心とした空間の広がりが感じられ、それをも、「かたまり」と知覚します。
 建築の敷地とその周囲への広がりとともに、ある空気のかたまりが建築の範囲に広がり、隣接する建築の空気のかたまりに境を接していると考えられます。そして、建築と建築の間の空間に注目すると、建築によって作られた空間とそれを充たす空気のかたまりが存在します。それは居住空間ではない、区切られることによって生じた自然的な空間が見えてきます。建築空間の広がりと見えた空気のかたまりは、空気の入り込む自然的な空間であることへと反転する。図の知覚には地が必要であり、なお、図と地が反転する。景色が遠近の重ね合わせで知覚され、遠近の背景の逆転が図と地の転換となるのでしょうか。

建築の模型
 建築の模型は多く作られたと思いますが、既存の建築か、建築の設計図によるものと聞きました。模型はすべて実際の建築物より、縮小されますが、盛口さんの建築には、ほとんど人がいるので、縮小率がわかります。人の模型を中心とした空気と建築の模型を中心とした空気が風景を構成して、縮小した空間が遠景となって知覚されるのでしょうか。

樹木と空気
 樹木は大地に根を下ろして、空中に枝を広げています。樹木が幹を伸ばし、枝を広げるのは空気の中であり、その樹木を囲む空気は、枝をを揺らす風であり、葉を照らす光であり、葉が水分を含む湿気であるといえます。樹木はこの空気と根を張った大地の状態を樹形と樹冠で示しています。様々な樹種の性格、成長の歴史が、その樹木の空間を充たす空気に含まれているのでしょうか。貴兄が長年、樹木の模型づくりに努力し、独自の境地を開いたことに感心しています。