ドイツ林業の時代的背景(3)森林の変化

はじめに
 黒田による林学展開の背景では、1550~1790黎明期、1790~1820ドイツ林学の確立期、1830~1850官房学としての展開、1850―1870森林経営学としての林学、1870―1890反省期、1890―1920自然科学の総合としての林学、1920-恒続林思想と時代区分している。こうした林学の転換には、時代の社会的背景(2)と森林の状態が関連している。
文献)黒田迪夫:ドイツ林業経営学史、林野共済会1962
1 黎明期 〜18世紀
 1550~1790の黎明期には宗教改革に始まる時代的な激動があり、続いて1618-1648農民戦争または30年戦争は、ドイツ西部の各地で隷農状態の脱却のための農民の蜂起があり、鎮圧された。宗教戦争とともに、ドイツ全土にわたる農村の荒廃、農民の離村、農地放棄、森林の草原化をもたらし、経済、文化の暗黒時代といわれる。こうした争乱と荒廃の中で、共同体の共有地が領主に移ることもあり、宗教戦争における修道院の権限、土地の没収などにより、王有地を拡大したと考えられる。
 1701フリードリッヒ大王によるプロシア王国が成立するが、中世の封建制に時代を画する専制国家として出現した。富国強兵と同時に侵略国家であり、国家の管理機構は王を中心にした家臣を国家官吏としており、1728内閣と家政の分離を分離したものの絶対王政には変わりが無かった。森林は農民、教会から領主の没収、領有化がなされ、国有地は増大した。
 大量の木材の必要は、森林を荒廃させ、この防止のための森林法令が出され、森林の保有、利用制限がなされるとともに、計画的利用と更新への関心が高まった。しかし、森林管理は狩猟の場として狩猟官に任され、狩猟は貴族の行事であり、軍事訓練とも考えられた。林務官の地位は低く、1750以降になって森林管理を任されるようになった。
 カルロヴィッツ(1645-1714)はフライブルグの鉱山上長であったが、鉱山備林の荒廃防止のために林業技術の開発を必要とした。
2 ドイツ林学の確立期 1790~1820
 1790~1820ドイツ林学の確立期はドイツ資本主義の黎明期でもあった。ドイツにとってフランス革命が社会の近代化に決定的に影響した。ナポレオンの侵略とともに、プロシアでは1795年フンボルトがドイツ人の国民意識の欠如を、専制主義と封建制度の自発性抑圧によるものと指摘した。スタインが1807国家管理最高責任者となると、農奴及び職人の解放(職業の自由)を法令とし、続くハーデンベルグは1811共有地の分割の促進 土地取得の自由を法令とすることによって、農奴解放、農村の近代化を目指した。
 農民は村落共同体に従属し、領主の小作地に拘束され、森林・草地ー共有地の利用を不可欠として、領主である農場主に従属せざるを得なかった。法令はマルク共同体の解体をもたらすことになったが、国有地・貴族の大土地所有が多いプロシアにおいては、農民を森林・草地の利用からの締め出し、かえって自由農民の没落を招くこととなった。地主貴族であるユンカーには有利に展開し、農業・林業の展開に役立った。
 また、スタインらは、自由主義経済を志向して、国有地の売却を進め、1808,1810売却がなされた。しかし、戦争と乱伐で森林荒廃しており、官房学者の反対もあって売却は停止した。 1811-20はハルティヒがプロシア森林管理長官の職につき、森林管理制度、林務官制度、教育の確立を行っている。1830エーベルスワルデ林科大学を創立している。ハルティヒ に並んでコッタが林学の創始者として活躍し1811ターランドに山林学校を設立している。フンデス ハーゲン(1783-1834)はチュビンゲン大学の教授となり、法正林思想を提唱するが、これは当時、展開しつつあったユンカー的林業経営における収穫規制から林業経営に適合した林業較利学などを先駆的に確立するものであった。
3 官房学としての展開 1830~1850
 1830頃にはユンカー的林業経営の営利主義が、顕著となるが、この森林経営にトウヒの皆伐喬林作業と人工植栽が有効であり、法正林は林業経営の規範となるものであった。農業に関しては、1798テーアが近代農業の創始者として、利益を目的とした近代的な農業経営を提唱したが、林業においては利益を目指す近代的な経営の考えの受容は遅れていた。
 プファイルは土地純収穫1822を提唱して、ハルティッヒの後任となれず、エーベルスワルデ林科大学の教授に甘んじた。1811私有林の売買処分の自由の法令とともに、大規模、集約的林業経営が可能となり、植栽技術の進歩により、大面積人工植栽が行われることになった。資本と収益の関係、労力雇用の条件など私経済営利追求の進展が見られるとともに、国家財政は窮乏し、国有林の管理は停滞していたが、石炭採掘、鉄道の発達によって地方的木材需要充足の必要は減少していた。
4 森林経営学としての林学1850―1870
 1860頃には、私経済営利追求の進展が顕著であり、プレスレルは合理的森林経営1865,1869を提唱し、土地純収益説(収益)と森林純収益説(保続)の論争が展開した。ユーダイッヒは林分経済法を提唱したが、ザクセンに留まり、集約的な森林施業を成立させた。
5 反省期1870―1890
 1870頃には、私有林の営利追及への反省が地力疲弊 虫害・風害への抵抗力減退などから、生じてきた。こうした事態に対処して、択伐更新による森林育成が行われた。自然科学の目覚しい進歩の中で、林学の基礎となる知識は拡大し、林学の孤立からの脱却が意識されはじめた。森林の基礎的研究となる土壌学、気象学、森林動物学、鳥類学が進歩し、それらの総合としての森林生態学への注目もされるようになった。1840,1851のTh.Hartigによる森林植物は目覚しいものであり、1862、1866-68ラッツブルグの植物病理学も見られた。1878-80にはガイヤーの造林学が著されている。
6 自然科学の総合としての林学1890―1920
 1890-1900自然主義思潮が盛んであり、自然法則に基づく造林として、ワグナーの帯状画伐林、マイヤーの小面積林が提唱されている。皆伐が原則的排斥され、メーラー(1860-1922)の恒続林思想の提唱へと展開する。