駒ヶ根市における景観計画の成熟

はじめに
 景観行政団体を目指す都市が徐々に増大している。景観行政の実行を独自に展開する要求が増大していることがその背景にあるのだろう。上伊那では駒ヶ根市伊那市が景観行政団体を目指している。景観行政団体となれば、景観基本計画を独自に作り、その実行に法的な規則を作ることができる。地域の景観特性の発揮、生活空間を好ましい景観とするための住民の活動が、自治体個々の景観計画を必要としている。
 駒ヶ根市の場合、以前の景観構想があるが、地域特性に根ざした計画ではあるが、住民の景観づくりの活動が少なかった時代で、実体性のない計画であった。また、中央アルプスを主体とした観光地の整備が大きな目標とされていた。

景観の利用と保全
 駒ヶ根市で、昭和40年代初期に駒ヶ岳ロープウェイ開設、昭和50年代には高速道路の開通と観光地の条件が整い、山麓駒ヶ根高原が形成された。駒ヶ岳ロープウェイの終点となる千疊敷の御花畑は大勢の観光客による踏圧で衰退し、自然環境の保全が問題となってきた。一方、山頂への登山路の途中となる亜高山帯の自然環境にはほとんど注目されなかった。
 山麓の高原は、観光施設の盛衰を見ながら、高原休養地として成熟し、河川や森林との結合を作り出してきた。登山路の復活とともに山地景観の利用と保全が同時にはかられるようになった。(池山)

景観の衰退と形成
 宿場を中心に整備されてきた市街は、養蚕、製糸業の発展によって拡大し、その衰退に代わって精密工業が進展して、市街の周辺に住宅地が整備されていった。観光地の発展は市街地の中心にある駒ヶ根市駅の利用を増大させた。しかし、昭和40年代以降の自動車交通の発達は、郊外に大型店の新たな市街を形成し、旧市街を空洞化させることになった。また、工業化は農業の兼業化を促進し、農業の衰退を招いた。遊休地の拡大とともに、農村地域への住宅地、工場地の進出が顕著となり、近郊地域の農村景観の衰退と混乱が生じている。
 以上の景観衰退に対抗して、市街地の緑地保全、市街外縁の住宅地の景観保全の住民活動が活発になり、農山村部では農業振興のための活動に取り組まれるようになった。台地上の農村地域は水田地域のために安定して景観を持続させている。