県民の森の森林管理

はじめに
 長野県で明治百年記念事業の森林公園の計画が始まったのは昭和45年ころであり、県有林の中から適地の選択が行われ、松本市三城の県有林が該当地となった。私は当時、信州大学農学部に赴任したばかりであったが、長野県の職員の方々に加えて頂き、「美ヶ原県民の森」設定の構想計画を担当させていただいた。当時の学生諸君とともに、現場にたびたび訪ねて、計画案を検討した。
 三城の中心地域は戦後開拓地の計画的な集落があり、また、それ以前の放牧地もあって、美ヶ原台上への登山口となっていた。松本市山辺の奥地の別天地であった。その一角の県有林を森林公園とすることは三城地区の休養地としての価値を高め、森林を休養の場とする上で役立つように思われた。しかし、いくつかの誤算があった。まず、三城牧場の敷地の周囲に柵があり、中心地から県有林への接近ができにくかったこと、台上への登山路が県有林に隣接しながら、休養客の県有林地内への導入も難しかったこと、開拓地の集落が衰退し、地域の活気が失われつつあったこと、自家用車の普及で登山バスによる利用も衰退して行ったことである。
 これらの地域の状況に悩みながら、計画づくりにあたり、計画に基づく造成事業が行われた。長野県では県有林を森林公園に提供するとともに、生活環境保全林整備事業の取り入れて「美ヶ原県民の森」建設に当たった。長野県の県有林と林務の職員が事業を担当し、私たちもこれに協力した。担当者は林業から公園利用への目的転換の理解に困惑し、県有林がまだ若齢のカラマツ人工林であったところの森林育成にも方針を定めにくくしていた。

森林管理の現状
 最近、地方事務所の林務課で、森林管理の状況をお聞きした。利用管理は松本市に任せ、森林管理は松本市と協議しながら、県が行っているとのことである。当時のカラマツ林が20〜30年生であったので、現在は60〜70年生となっており、間伐事業などの森林育成事業が行われているという話である。シカの繁殖によって下層植生が食害にあっている点がお手上げな問題とのことであった。利用者の減少も問題で松本市ではキャンプ場の閉鎖を考えているとのことである。これから、実際の現場の森林を見て森林管理の方法も検討する必要があるが、森林の木材利用のないところで、公園利用のための長期的な森林施業ができるのか、大きな課題である。