天然林の造成

はじめに
 明治神宮は天然林を造成しようとしたものといえるだろうが、それが成功であるかは未だに結論がだせないのではないだろうか?言葉を問題にする人は、造成した森林は人工林ではないかというだろう。自然の回復によって成立した森林は天然林と言っても誰も反対しないだろうが、自然によって維持された天然林とも言えない。
 天然林を自然遷移の終局相に到達した林分を持ち、その林分が破壊されても、終局相を復元することができる遷移過程を常に保持した森林とすると、人工的にそうした構造の森林を造成できるのか、というのが論議の本題である。明治神宮はその大きな先例である。

森林遷移による天然林の成立
 明治神宮の森林の造成は、伊勢神宮など既存神社の保護された森林が参考にされたのであろう。しかし、神社林も数百年に渉って保護された森林はわずかであろう。
 生駒山系の森林から、戦後に放置され森林遷移の進行状態は明確である。禿げ山はアカマツ林となり、アカマツ林の衰退からコナラ林へと移行している。コナラ林の下層には、照葉樹林を構成する樹種が見られ、今後、コナラ林が衰退すれば、照葉樹林への移行が推察される。この過程はわずか戦後の数十年で生じた変化である。

恒続林
 恒続林はメーラーが提唱した持続する森林の考えであるが、天然林自体が持続する森林である。人間が関わる森林が天然林のように持続するにはどうすればよいか、人間の関わり方が森林の持続に手を貸すようである事が必要となるだろう。人間の関わりは、森林を破壊するまでに過剰に行われる場合が多いが、天然林にも森林の破壊が生じる。天然林の自然による破壊は一時的で、その規模も多様であるために、全面的な破壊ではなく、森林が回復してくる。この森林回復は老齢木の更新によって森林の持続に役立っている。
 ある程度、人為的破壊を受けた天然林も自然破壊と同様にもとの天然林への回復が進行するのだろうか?人為的な破壊の及ばないところがなくなり、原生林は存在しないとも言われ、メーラーが恒続林のヒントを得たアマゾンの森林もそこで生活する住民と共存して成立しており、その影響の及ぶ森林は原生林とは言えないことになる。そうした点では、人類の原始的生活と共存した森林を天然林と呼んでもよいだろう。森林を生命の有機体として存続させ、有機体を損なわない人間の関わりが、その有機体に含まれ、有機体の活動に動力を付加するような森林が恒続林といえると考える。

天然林の造成
 放置した人工林は、荒廃した森林であると言われる事が多い。確かに、密生したヒノキ林の林床は裸地となり、急傾斜地では浸食や土砂崩壊の危険性があり、自然災害を増幅させる。また、放置されたカラマツ林の林床はササが繁茂して、森林の更新が妨げられる。一方、自然間引きによって、下層木が生育すれば、森林更新が進行する。自然間引きの進行を促進させる間伐、画伐を森林更新に役立てる方法は、天然林回復に役立つことになるだろう。
 一方で、禿げ山や放置された薪炭林に成立してきた広葉樹林も天然林として持続するかが問題である。放置された時期が同時代で生じているために広大な放置林はほとんど遷移過程も同時期となり、森林は同齢林となっていることが多い。異齢林で、老齢木によって更新が循環的に生じる天然林の森林構造とは異質である。
 放置林は密生し、そのために衰退して、遷移が早められる可能性があるが、下層植生の衰退によってササなどの繁茂、また、森林破壊によるつる類の繁茂によって遷移の退行が生じる危険もある。こうした事態を避けるために、高齢木を育成するための間伐が必要であるが、同齢林の状態を改善することも必要である。