生活の庭

はじめに
 近代社会は、個人の独立と自由によって成り立っており、国家の憲法の基本とされている。こうした市民社会を背景として、個人生活が謳歌され、小さな敷地に自分の住居を持ち、その敷地に個人の庭が創り出された。
 庭は生活の場であり、個人の自由な創造の場として、個人生活自体を再生するゆとりをもたらすものであった。近代社会に即した住宅地が都市に形成され、市民の庭が求められるようになる。庭園趣味の広がりとともに、日本には伝統的な庭の様式に関心が集まるが、新たな市民生活に対応しきれなかった。そこに洋風庭園の様式が導入されるようになる。
 こうした庭園趣味の問題から、庭が住居と一体として生活の場である点での機能と趣味との関係を明確にした戸外室の考え方が田村剛によって導入された、機能である用と趣味の好みによる美との関係は、近代工芸運動とも連関していた。社会全体の資本主義経済に対して、個人生活を確保する必要が、中世の職人技術を評価する工芸運動を呼び覚ましたからである。

閉鎖的な個人の庭
 戸外室の考えの普及は、悪化した外部環境から、市民の個人生活を防御しようとする中間層の住宅地に広まったの考えられる。その現れが、高い塀や生垣に囲まれた敷地境界に見られ、外部への防御を意図している。庭はその境界に閉じ込められ、戸外室は住宅の附属部分となり、戸外環境への自由な広がりが減じられるものとなった。庶民の近隣社会への親しみある結合が失われ、個人主義の生活空間に限定されるようになった。
 日本の住宅様式は、江戸時代の士農工商の身分制とその居住地の

開放的な庭の集合空間