イブモンタンと造園家

 親しかった卒業生、T君が今年、病で無くなった。奥さんは家族葬で弔い、樹木葬で自然へと返した、友人とは若い時から変わらずに交信して、親しさが変わることは無かった。造園施工会社が勤めてから、イブ・モンタンの最後の講演にパリに行ってきたことを聞いて、シャンソンが好きであったことを初めて知った。会社では勤勉で、多くの資格を取得したが、寡黙で過ごし、不満は口にしたことは無かった。高名な動物学者から学んだ奥さんと結婚し、子供も元気に育ち、幸せそうであった。しかし、会社をやめてしまい、次の造園の職場を転々とすることになった。そこで、恬淡と仕事を楽しんでいたが、職場の条件は厳しく、苦労は多かったであろうに、愚痴を聞いたことは無かった。毎回、同窓会にも顔を出してくれた。
 私が退職後、一人暮らしをしていた所に、M君とともに泊まりがけで飲みにきてくれたことがある。一人暮らしを心配してくれたのかと優しい心遣いを嬉しく思い、よもやま話に時を忘れた。T君はその時に、数年前から勤めていた造園会社の話をしていた。その後、T君がぞの造園の仕事に表彰を受けたという知らせを聞いた。また、なぜか、T君が感銘を受けた一人暮らしの老人と犬との交流を描いた漫画を送ってくれた。最後は、自然の中に埋もれるような終焉を迎えるのである。T君も愛犬とともに暮らしているという、これは、私のことか、T君自身のことなのか、不思議な思いをしたことがある。
 イブ・モンタンの歌う「枯れ葉」のように人が死ぬのは自然である。そして、その枯れ葉に哀惜するものがいることによって人生が終わっていくのである。涙ではなく風のように。