森林の散歩

 森林美学の中で、ザーリッシュは「森林芸術とは「森林の散歩」を美的に向上させることである」と判断している。森林は博物館であり、美術館であるとも述べている。
 私は毎日、愛犬とともに散歩している。散歩のコースは日によって異なるが、住居からは住宅地、果樹園、水田の地帯、公園の森林や草原区域に出かける。自動車では市街地や山地にも出かけることがある。1〜2時間の散歩で多くの場所、場面に出会う。愛犬にも連れ出されたコースに大体何度もでかけるのだが、人間とは日々、新たな興味の体験をしているようである。
 ここでは、森林の散歩が森林芸術となりうるのかを考えてみよう。森林の散歩は森林の利用の仕方である。ザーリッシュの森林芸術はその利用者に対して、林業家がその技能の力によって、林業を営む中で、森林美を提供し、創造するものである、ということであろう。林業技能者は林業家だけでなく、公的に森林管理を行う「森林官」が含まれるから、ザーリッシュは森林官に向かって森林芸術のための森林美学を推奨している。

メモ:ルソーの最後の著書「孤独な散歩者の夢想」(1778)はゲーテに多大なる影響を与えたと大澤先生の言である。何もかも失って、最後に見出した自分自身がただの日常の体験から何を見出していくか?近代的個人の元祖とも言えそうである。散歩、風景(環境の知覚)の原点(視点)となる個人は、自分自身であり、近代社会の原点となる個人でもある。森林の散歩は自然を破壊した人間が、その破壊した自然をどのように知覚しようとすることなのかという問題なのだろうか?