森林公園時代の出現

 ヨーロッパの都市はその都市所有の都市林を持つ場合が多いといわれる。日本には公有林としては存在しているが、それが都市林だとイメージできない。都市内、あるいは周辺に残存する森林を都市林だとする考えも成り立つが、これは都市住民の利用可能性としてであろう。昭和40年代初期にこうした都市林の概念が取り上げられた。その背景には大都市の郊外への拡大があり、農林地の半自然環境を破壊、喪失していた状況があり、一方で都市住民の休養利用の場としての自然環境の緑地としての確保が迫られていたからであろう。昭和30年代半ばに大都市問題への対処として大ロンドン計画におけるグリーンベルトの概念が取り入れられた。しかし、厳しい土地問題の中で挫折した。法的規制では対処することができず、土地の公有化まで行なわないと緑地の確保は難しかったが、広域的な半自然環境を確保することはできない問題であった。既に大規模緑地の設定は戦前に東京、大阪で行なわれ、現在に生かされている。
 では、大規模緑地が都市林と呼べるのかといえば、そうはならない。大規模緑地は大規模公園と同義であり、公園利用のための営造物であるからである。ヨーロッパの都市林は中世に起源をもち、都市の食糧の自活として必要な林地であったといわれ、近代になって林業経営が試みられた経済林として成立した。市民社会の進展によって休養の場として利用され、施設が整備されたという歴史的過程があり、森林として維持管理されていると考えられ、その点が公園、緑地とは異なる概念であったからであろう。緑地や公園の森林は公園施設の附属的要素であり、森林の維持管理よりも、公園利用が優先するといえる。
 公園ではない都市林、森林の持続を優先する森林公園が昭和40年代初期に脚光を浴びてきたのは、直接的には明治百年(1967)の記念事業であった。近代国家に向かう端緒であった明治維新の記念事業に森林公園が取り上げられたことは何を意味するのか、明治当初には森林が豊富に存在していたことを回顧するためなのか、そのような回顧は近代化の過程の否定を意味していないのだろうか。都市計画の不徹底による無秩序な都市環境とその拡大は自然環境の破壊を再生産しつづけたといる。そんな反省もなく、現在、都市住民は自然環境に触れることを熱望していることへの安易な対症療法であったのか。あるいは、これからの大都市計画に向けた布石であると考えたのか。そうした内情は政策のなかには表示されない。かくして森林公園が全国各地、国、県、市町村で作られていく状況が生み出されていったのである。