環境循環における環境計画

 造園を「人と環境のメタボリズムにおける環境改変の活動」ととらえたのは新田伸三先生であり、環境機能のための造園工学の論拠となるものであった。メタボリズムは生物を存続させている体内循環機構を表し、これを住宅敷地の範囲に広げれば住民の生活と環境との相互関係となるだろう。さらに、都市環境に広げれば、都市住民を主体とした都市計画となるか、さらに、大きなスケールでなるかであるが、その空間的広がりにおけるそれぞれの主体と環境の循環関係への展望を新田先生は示さなかった。戸外環境に対して、それ自体が生態系として多様な生物の多元的な循環を構造とする森林については、次代の人間が考えなくてはならない問題であった。主体にとって環境は固定的、静止状態のものではなく、変動し、その変動に主体自身の意志が計画として加わる。その環境に主体が順応することによって、主体のあり方を決定する。こうした動的関係として主体ー環境の関係を見ていくことが、新田先生の考えであったといえる。また、ヘーゲル精神現象学は精神の外化の弁証法を哲学的に考察している。これを物質的な経済関係として展開し、資本論として提示した人がマルクス・エンゲルスであったといえる。今回は地球という人類の生存の基盤となる環境に関わる、環境問題を取り上げてみよう。
 現在、地球環境の危機に対処して、国際的協議、各国の環境問題への対処、国内の都道府県での環境基本計画、市町村のあるいは広域の環境基本計画と施策が進められている。前述したゴミ中間処理施設用地選定委員会もその一端を担う活動といえる。大量生産による低廉な商品の供給、全国的なチェーン組織の大型店に群がる消費者、大量の商品には包装のゴミが付随している。組織的なゴミの分別回収が行なわれ、集められたゴミは処理場あるいは再利用される。商品の供給と消費の循環関係の中でゴミ処理は環境への負荷を低減する不可欠な体制となっているのが、現代の工業文明である。
 人口の面から見ると、生産活動から遠ざかった退職者の増大、教育年限の拡大は、労働人口に対して有閑人口の増大を現している。近代初期に、生産力の増大は、労働時間を縮小し、豊かな社会を生み出すはずだとの確信は、ユートピアを夢想させたが、現代の有閑人口の増大はこの夢想を実現したかにみえる。社会の中で大きな割合を占める有閑人口は、体力が維持され、健康状態にある限り、生活を享受することができ、自由な活動が展開できるはずである。しかし、社会を支える生産人口を補完し、鼓舞し、豊かさを社会全体で享受できるような貢献が、社会的循環における有閑人口の使命なのではなかろうか。
 大量生産によるゴミ問題を是正するために、大量生産そのものを否定するのか、それは生産人口の活力を否定することでもある。集中したゴミ処理の工業技術の水準は向上し、環境への負荷を低くしている。ゴミを資源として利用するシステムも改善されている。ゴミ問題の負荷を、社会の再生に転化できるような展望はないものだろうか。