神社空間の考察Ⅰ

 どこにでもある神社、神社は村の中心として機能し、村のあるところ神社が必ずあるといってもよい。村が日本の津々浦々まで存在していった過程を柳田國男が「日本農民史」で述べている。氏族社会、条里制、荘園制、武家社会、近世農村の成立と幕藩体制と連綿と社会の基礎をなした農村社会とそこからの明治になっての近代化の中で持続し続けている現代の農村とその中心となった神社を見ることになる。農村の中だけでなく、市街にも神社が見られ、祭礼などには地域の中心となっていることを実感する。神社の樹林は大木によって構成されていることも多く、都市環境では緑陰のドームと遠方から見えるランドマークとなっている。その神社の維持は集落共同体と重なる氏子組織のもとで行なわれたが、今日、多くの地域は地域の自治会などに転換していると考えられる。
 近代社会においては個人の独立に依拠し、社会関係は契約関係として成立し、近代以前の社会の共同体の一員として関係から大きく相違していることをテンニエスが「ゲマインシャフトゲゼルシャフト」で明らかにしている。マルクスは近代以前の社会形態として共同体の形態の歴史的展開を述べ、これは大塚久雄の「共同体論」に受継がれた。日本の農村社会はマルクスの言う「アジア的形態」の共同体といえるのか論争もあるようである。近代社会においては個人の自由の一方で、共同体としての近隣コミュニティの成立が求められている。古い社会関係が今日求められているコミュニティに代替できるかは問題であることは間違いないだろう。神社の存在は古い集落共同体に成立し、近隣社会の共同空間として継承されている点から、現在のコミュニティ問題を示唆している。