神社空間の考察Ⅱ

 共同体論においての課題は、土地を基盤とした農業生産のもとでの共同体と共同体成員との関係が問題であった。共同体内部において個人ないしは家族の土地占有は、共有と対立関係にあり、この関係の類型として、原始共同体からアジア的形態、古典古代的形態、ゲルマン的形態を見出し、原始社会、古代専制国家、古代ギリシャ都市国家、中世封建制社会を成立させたのだというのである。日本はその位置からアジア的形態に属するといえるのかもしれないが、中国文化圏はオリエントとは相違して点があることも考えられており、さらに中国と日本に相違点があることも考えられるだろう。こうした歴史的背景の相違は、近代化の今日にも農村社会の中に残されていると考えられる。
 日本の村社会、集落共同体の中心であった神社空間も歴史的存在であり、今日にも地域住民に利用される空間として持続している。共同空間としての利用ばかりではなく、祭礼などでは地域帰属意識の中心となることもある。こうした神社に対して寺院もまた各所に見出すことができ、神社と並存する場合も多い。仏教による寺院は宗派によって檀家が形成され、個人、家族の信仰に由来しており、集落共同体の中心となる神社とは性格が相違する。神社と寺院は共同体と個人の信仰の相違として対立的並存していると考えてよいのであろうか。明治以前は神仏習合によって神仏の区別は不鮮明となっていた。明治になって神仏分離がなされ、廃仏毀釈の政策が出され、仏教が排斥されたこともある。しかし、個人の信仰する宗教として持続することができた。寺院が学校の役割を担うこともあり、神仏は共存から並存するものとなった。しかし、近代社会の政策からすれば、個人の信仰に基づく仏教は残りえても、共同体に根拠をおく神社は残りえなかったはずである。それが残りえたのは、国家統治としての王権として神社は系統化され、天皇制の根拠となることで、持続することができたのではないだろうか。そして、近代化に逆行する共同体の存在を必要とする農村社会がその基盤となったといえる。
 それとともに近代市民社会における個人の自由・独立の意識の進展において、失われる可能性のあった共同体意識を持続することができたのではないだろうか。神社は共同体が土地に根ざし、土地は自然環境を基盤にしている。神社は集落の中心の空間であるとともに、自然環境と居住環境との結合を意識させる立地に位置することが多い。共同体意識とともに自然環境との結合を意識させる機能を持ち続けている。しかし、戦後の高度経済成長のもとで、農業と農村社会の比重低下は共同体関係を希薄にし、神社空間はその存在意義を変化させてきたといえる。