原生林への回帰

 自然保護の考えは、価値ある自然をそのままに残そうとするものであり、アメリカから国立公園の制度を生み出した。それは資源開発への対立を示すが、自然そのものを残すことによって資源を利用するものでもある。国民的な利用の場として国立公園が成立したといえる。国立公園の設定とともに、利用による自然破壊、とくに利用施設の開発による自然破壊が、自然保護に対立する矛盾として浮かび上がってきた。日本の国立公園設定においても、自然保護か利用かをめぐって上原、田村の論争があった。戦後の自然公園制度のもとで、公園区域のゾーニングによって森林施業は段階的に制限を受けるものとなった。森林の禁伐区域も設けられ、森林が保護された。先に述べた知床、南アルプスは、原生林、天然林を中心とした国立公園である。
 戦後の国土荒廃は、自然環境の破壊された状態であった。国土緑化として植林活動が展開した。植林は自然回復に必要なものと考えられた。国立公園の自然保護を延長して考えれば、自然回復は自然環境の失地回復と位置づけられる。しかし、昭和30年代後半に展開した拡大造林政策の植林は林業地への森林転換であり、自然の失地回復というわけではなかった。戦後の林業政策は経済性に傾き、皆伐作業を招来させ、人工的な稙林地を拡大させた。奥地林開発や森林の大面積の伐採と林道開発は、自然保護の立場から批判されるものとなった。しかし、林業は略奪的段階を脱して、育成的段階へと進化していたはずであり、その原則が無視された点が問題であった。林業そのものが自然破壊であったのではなく、自然保護と林業は融和する接点を持ちうるはずであった。
 森林の持続は継続的な木材収穫をもたらす上で、林業の成立に不可欠であり、法正林の規範を遵守することが考えられた。さらに、自然的な森林の取り扱いが必要とされることになった。森林美学もフォン・ザリッシュからメーラーへと展開した。戦前にこうしたドイツの当時、最先端の林学が導入されていたといわれる。しかし、戦後の林業展開は上記のようであった。現在は森林の様相が変化している。拡大した植林地に、木材価格の低迷から放置された森林が数十年生となって蓄積されてきており、また、放置による自然回復も場所によっては散見される状態である。この森林蓄積を活用して、自然回復を助長する森林育成を進める可能性が生まれている。さらには合自然の天然林施業へと接近できれば、自然保護と融和した林業成立の可能性がある。数十年生の森林は、百年生の森林を目指すことができ、百年は二百年へと延長して天然林の樹齢に近づくことができる。森林生態学や育林学の進歩がこれを可能にすると期待する。二百年の森林は、循環的に更新していく上で林齢の異なる林分がモザイック状態に配置されている必要があり、おそらく、天然林は大面積にそうしたモサイックな配置で構成されているはずであり、そのためには一部に森林破壊地が生起し続けることも必要となる。この森林破壊となる森林伐採によって木材の収穫を持続させることができる。天然林保護地域に隣接する区域に天然林施業を行なうならばその境界は融和したものとなるだろう。こうした目標で森林を取り扱う戦略と大きな構想が必要といえるだろう。
 自然保護、放置による自然回復の必要な点はあるが、行き過ぎた自然保護、森林の放置がかえって森林破壊を助長する場合があることを忘れてはならない。同齢林の解消、人工林の転換によって永続的、合自然的な取り扱いによる省力化を進める必要がある。こうした転換にとって、原生林持続の構造はモデルであり、目標となるものであろう。どのように変化するかもわからず、放置された現在の森林が目標に向かって動き始める。かっての国土緑化のように、人為による動態の発生は人々の森林の見方を変えることにもなるだろう。そのために、目標をもって大胆に取り組む必要があり、森林が魅力ある自然となるように回復させ、人々を森林に接近させることが大切であろう。