原生林の回復 三百年の森林育成

 里山はとても響きの良い言葉である。里は故郷の郷愁につながっている。しかし、農村問題、農業問題の実情といかに結びつきがない言葉なのであろうか。里は郷愁のかなたにある過去の農村の理想化された姿に過ぎないのではないだろうか?里の実体は失われ、里山もイメージの存在でしかないのかもしれない。里山のイメージによって森林が薪炭林や雑木林、広葉樹林などに固定化されてくる。そうした里山の森林は、森林を燃料や肥料の採取に利用することによって維持されたわけだから、それが失われた今日、その持続は困難であるといえる。放置された人工林、再生した二次林をどうするかが、現代の農村地域には大きな課題である。
 衰退する農村地域は活性化への取り組みが必要となり、活性化は地域共同の意識を喚起させる。住民の生産基盤、生活基盤を共通のものとして自覚させ、解体しつつあった共同体の意識を復活させる。地域の森林はかっては生産基盤であり、今日は生活環境としての比重を大きくしている。そして何よりも将来に向けた森林の生育は、地域の永続性を補償するものである。
 伊那市富県区は十数年前から活性化に取り組み、十年前よりグリーンツーリズムによる展開を図ってきた。様々な事業を立ち上げたが、その内の一つが地域の中央の山地の森林の利用と育成であった。放置されている二次林のアカマツ林と広葉樹林、人工林のヒノキ林とカラマツ林で主要な林相を構成している。所有は各地区の区有林と細分された私有林であり、ほとんどの所有者が森林を放置する中で森林育成に取り組む所有者も見られた。林齢は4,50年生の森林の比重が高くなってきており、若齢林はわずかである。地域全体で森林面積は2千haに及んでいる。
 森林計画は住民から出された要望や意見を盛り込んだ構想で作られた。それは主には公園的利用であり、山頂に至る尾根の道路沿いに城跡、展望所や広場、原っぱや花見や樹林の森林浴の場所を作るというものであった。尾根部を中心とした計画はかって草刈り場として利用されていた当時の痩せ尾根の孤立した松や草原の再現を期待するものだったのではないかと考える。いわば、住民の原風景の再現であったのかもしれない。そして、少し大袈裟に観光開発になるかもしれないと空想を広げてみるのである。放置されているといっても山麓部はほとんどが私有林であり、尾根部に近い区域が区有林などと公有であることが、住民全体の利用の場と意識されたともいえる。
 こうして公園利用の構想から森林計画が出発し、次に尾根部のアカマツ林をマツタケ山として手入れして利用していくことが事業化していった。落ち葉かきなどの利用がされないことによってマツタケ山は衰退したが、マツタケ育成に取り組んだ藤原さんの成果が、山林の手入れを広げるものとなった。森林所有者と利用者をつなぐ山林オーナー制の体制でマツタケ山への育成の取り組みが開始した。アカマツ林も高齢林ではマツタケの育成には不適であり、ヒノキ林、カラマツ林、広葉樹林などをどうしていくかが問題となり、間伐などの事業に所有者個々に取り組むことが進められた。さらに、地区によっては森林育成の意志のない所有者にかわって、森林育成のグループの活動が生まれてきた。全域の森林育成の可能性が生まれるのに即応して、長期の森林計画が構想された。