原生林の回復 三百年の森林育成 続

 森林計画を地域の森林育成の動向を基盤として考えると年間50haの森林育成を2000haに及ぼすとなると40年間を要することになる。40年後に現在、60年生の林木は百年生となり、20年生の林木は80年生となる。百年の輪伐期であれば、1年生ごとの森林が20haの面積で配列し、毎年、収穫することのできる法正状態が生じるはずである。これを200年の輪伐期とすれば、1年生ごとには10haとなる。百年の森林を実現した段階で二百年の森林の実現に向けてシフトしていくことが、さらに三百年の森林計画への展開となる。
 三百年の森林計画の根拠は、現在まで残された高齢の森林の姿である。木曾赤沢の天然ヒノキ林は三百年生と言われている。また、伊那の神社では200年生のアカマツ林を見ることができる。富県地区の神社の境内も200年生程度のヒノキの樹林を見出し、やはり二百年生程度のモミなどの巨木を持つ神社もある。200年生も100年後には三百年生となり、数百年の天然林の循環的更新に近づくことになる。指標となるこれらの高齢の森林や樹木が温存されてきたことは稀有なことではあるが、百年の森林計画が次の二百年につながる大きな根拠である。
 三百年の森林計画も現実的な人々には空想的な仮説に過ぎないだろう。しかし、その仮説を信じる人々が、住民の中から生まれてきたのである。森林育成の活動グループが2地区において生まれ、三百年の森林計画の実現を目指すことを、百歳に近い住民の方が喜んでいた。他の地区では放棄水田や谷合に回復したザゼンソウの生育のために森林の手入れに取り組む住民グループが活動を始めている。それは山地の防災にも必要なことだったが、野草の育成が契機となっている。
 しかし、三百年の森林計画は綿密であり、技術的な根拠が必要である。そのためには住民の熱意とともに専門家や行政官の協力関係が必要である。さらに、細分化された土地所有と利用における権利関係の調整も必要となる。森林育成における多面的な森林機能の発揮も目標とされねばならない。精緻な森林資源の育成は地域活性化以上の効果として、森林の永続とともにある住民生活の永続性に回帰させることである。高齢化の進行は地域活性化に参加している人にも表れているが、森林育成活動には、より若い年代の参加が見られることに、期待がもたれる。