場所と場面の構造 場所の議論

 場所の概念は空間計画と心理学の分野で問題となっている。これは学習していかなくてはならないが、現在の思い付きをメモとして書きとめ、いずれ書き改めるつもりである。漢字の語彙は間違いかもしれないが、様々なイメージを喚起してくれる。場所の語彙も「場」と「所」で構成され、「所」が所在の位置を示しているとしたら、「場」の位置を意味することになる。そこから「場」とは何かを考えた。前に「広場」について書いているが、物理学では「磁場」ということばもある。磁力の働く範囲を「磁場」とするなら「場」は範囲ということになる。「立場」という言葉もある。自分のいる社会的な「範囲」ということであろうか。(辞書を引けば正確な意味が述べられているのだが、連想のため辞書は後から引けばよいと考える)しかし、「場」が範囲と言い切るのも不自然な点がある。やはり、「場」には位置を示す意味もあり、「立場」は社会的な位置を表わすものといってよいだろう。「所」が住所のように、空間的な位置であるのに対して、「場」は社会的であれ、物理的であれ、力の作用する位置と範囲と言えるのではないだろうか。
 「広場」は漢字では単なる広がりのある場所を示すが、都市空間の場所として機能する空間の実体を意味している。「place」は「場所」から「広場」となったのか、「広場」から「場所」となったのか、語源が問題となる。しかし、両義的に使われていることが、重要である。「広場」は単なる空き地ではなく、人の集まる場所であり、集まって市場を開いて取引すとか、政治的な議論をする場所であるように機能を持った空間である。そして、その空間をそこに活動する市民の「場所」として意識することである。さらに言えば、主体における環境の一部を「場所」として意識する意味である。住民を主体と感じられない居住環境は、環境とはいえない非人間的な物理的な空間であろう。住民が主体となる環境は、住民以外の人々にも人間的環境として親しめるはずである。
 式場、墓場は人生の折り目の場所である。遊び場やたまり場、駐車場など都市生活のための機能を発揮する集合場所である。人々の生活の必要に応じて様々な場が作り出される。話し合いの場、花見の場など、ときには争いの場も。流動的に生成する生活の集いの場が、場所に固定されてくる。場所が限定されることによって、場の流動性や生成が損なわれる場合もあるであろう。