京都北山の思い出

 京都北山といえば吉田鐡也君を思い出す。京都盆地を囲む山々は東山、北山、西山と呼ばれるが、東山は琵琶湖との流域の境界をなし、その山麓には寺社が配置しているのに対して、北山は農村があり、山地へとつながり、その山地は丹波、丹後へと連なっている。北山は京都の北に面しているというだけではなく、広大な山地の入口といえる。
 吉田鐡也君は学生時代から北山クラブという山歩きの団体に入っていて、そうした北山の一端を教えてくれた。京都の駅前の広場の一角にに吉田君の設計した造園があるが、そこは土盛りの上に切り株が配置され、ササの被覆と数箇所に石が配置された構成となっている。京都駅前には京都タワーがあり、本願寺の景観を妨げている。京都の北山はさらにその背後にあって見ることはできない。京都のイメージは駅前からはうかがい知ることもできない状態である。吉田君の意図は京都のイメージをさらに山村の生活や自然へと秘かに広げることにあった。それは、依頼した林業団体の意図にも即応した。北山の山頂に残された切り株を選んで配置する。しかし、駅前利用者にそのイメージはどのように受け入れらたかは疑問である。小さなコーナーに目を留める人は僅かであったろうし、京都タワーの下にあって、緑地とは違和感のあるイメージが何を意味しているかはわからなかったであろう。ホームレスの寝床には最適で、ササが傷むのを気にしながら、吉田君は思わぬ効果を楽しんで話していた。
 それよりも前に吉田君から誘われて中村君と3人で、夜の山歩きに出かけた。北山に入る入口の人里では気づかれないように声をひそめて山道に入った。懐中電灯は役立たず、たちまち、闇の中で方向を見失った。それを待っていたかのように、吉田君は動きはじめた。道から足に伝わる感触、周囲の藪の肌触り、開けた場所から吹く風の動きが、歩く方向を示すようである。吉田君は前後を入れ替え、初心者にそうした体験をさせてくれた。見えなくても五感を働かせて見ること(知覚すること)ができる。また、道に迷ったからといって恐れることもないのだ。闇で迷うことは当然だし、それを五感の覚醒で迷いからも覚めることができる、この体験を3人で意気込んで語り合った。
 吉田君によれば、その北山山地全体が京都盆地の人々から忘れられた世界であり、戦前から廃村が見られ、道なき藪の世界へと化そうとする場所であった。こうした藪山を歩くことを好む人々が現れ、森本次男であり、また、今西錦司なども含まれているというのである。道もなく、目標もない藪山の山地は、五感を働かせ、独自の道を発見する場所ともなりえたのだろうか。山頂に寒々と風に吹かれた切り株はなにをイメージしているのか。その吉田君ももういない。