森林公園の風致施業 藪の評価2

 藪は見通しを悪くし、視界を閉鎖する点は野鳥にとっても同様であるらしい。猛禽類が小哺乳動物であるネズミなどを捕食する上で見通しのよい林内が都合が良いといわれる。しかし、ネズミは捕食されるような場所に出てくるかは疑問である。小鳥の巣も藪や枝の茂みは巣を作るのに利用されるということである。藪はある野生動物にとっては都合の良い隠れ家となるのであろう。茂みのある森には野鳥のさえずりが響き、しかし、鳥の姿を見ることができない。人間は開けた道から藪の中に入ることは行わないであろう。ところが、山菜やキノコ取りの人々はその藪の中に分け入るのである。道もない藪の中に目指す獲物が隠されており、藪に迷うこともなくどこまでも分け入る。しかし、また、戻ってくることができる。これは親子に伝わる場所や道筋の認識なのか、あるいは自然環境に対する本能の覚醒なのかである。藪山が生業、生活の場として利用されきた地域の年代的体験の賜物なのであろう。生活の場である限り、藪は獲物の宝庫であって、不安な場所や恐ろしい場所や閉鎖する場所ではなかったはずである。山麓の藪は開けた豊かな場所であり、時には山遊びに出かけ、下方の眺めを楽しむ場所でもあった。そのような藪がいたるところにあった時代は、山地が里人から利用されていた。また、様々に人が介在することによって、多様な変化が山地に生じていたと想像される。
 山の利用が衰退するにつれて、藪は一時的に猛威を振るうものとなった。茨や蔓類の繁茂は藪を通過することができず、見通しを悪くする緑の壁ともなった。しかし、そうした状態も森林へと遷移する過程の一部といえる。