風致と風景 風景の要因

 単純な風景は、恒常的な要素によって構成されている。広々した視野の中で遠景に抽象化されることによって、限られた要素による単純な風景が知覚される。人間が地表から天空を見上げている限り、風景の構成要素は、どこにおいても同じであるだろう。風景を眺める人は違っても、誰もが同じ単純な風景が目に入ることになる。しかし、恒常的な存在に無意識となってくる。だれもが無意識に単純な風景を共有しているといえる。一方、天空と地表、光と大気、水分の要素による単純な風景は、それぞれの要素が関係して、千変万華に変化し、二度とない瞬間の変化に印象づけられる。その印象の体験は、眺める人の瞬間の出会いと感性によって異なってくる。風景の主観的であると同時に普遍的であるという性格の原因がここにあると考える。
 風景から得られる印象は主体と眺めとの連動した関係から生まれる。それは何故かといえば、眺める地表の広がりは、見る人がいる場所と土地と連結しており、地表の広がりの部分である。自分の立つ場所と地表の広がりは連動している。天空における雲を動かす風の作用は、見る人の大気の接触と連動している。それは呼吸して体内に大気を取り込む感覚とも連動している。陽光の作用もまた、同様である。印象的な風景は見る人の内面に作用するが、風景を一体として感じる環境の連動によるものでもあるといえる。環境の要素として作用する土地、大気、陽光もまた、恒常的であることによって無意識であり、無機質な環境条件である。しかし、風景の印象は、環境の基本的な要因を意識させ、風景と連動する感覚を生み出すといえる。