都市の風致 都市風景の生成

 長野善光寺前の通りを見に行った。11年前に整備され、かっての裏寂れた面影はなかった。古い蔵作りの建物や、昔ながらの看板を掲げた建物は、通りの変身に面映げにみえた。二十年前までは駅前から続く道の正面に善光寺の小さな山門が見えてきて、そこまで続く商店街と商店の前に張り出したアーケード、その下にあえぐプラタナスの並木があった。オリンピックを契機に新幹線の延長があり、長野駅は装いをかえた。老朽化した商店街も駅前の整備が行われた。しかし、自動車の通行は多くても、駅から善光寺までを歩く人はほとんどいなくなってしまい。駅前の観光入口の役割はなくなった。通りの中間に進出した大型店は一時の賑わいをみせたが、撤退を余儀なくされ、空洞化が広がっていった。善光寺観光のために作られた駅前からの通りは、さびれる一方であったといえる。また、最近整備された環状道路がこの通りを分断し、かっての参道としての面影は、全く失われたといえる。
 商店街の連続から切り離されて、山門前の門前町として古い町並はその風格を保っている。門前町長野市発祥の中心地でもあり、長野県庁が西に、長野駅が正面に設置され、市役所も町内にあったが、やがて東に移動し、この通りに囲われた範囲に、市街地、商店街が形成されている。やがて市街地の中心の商店街として権堂町が発展した。門前町善光寺を背後において市街地の大きなブロックの北側に位置している。こうした都市形成にとって、駅と門前町を結んだ軸線は都市の中核線であったといえる。そして、門前町善光寺とともに都市発展の歴史的原点の位置にある。
 都市の活力は、都市が拡大し、中核が拡散することによって、衰退していくようである。かっての中心商店街は閑散となり、人通りの少ない街路に面した商店は店を閉じている。看板は塗り替えられることもなく、手入れもされず老朽化した建物が多くなっている。寒々とした荒涼を感じさせる風景である。しかし、そこで生活する人々にとっては、日々の環境に潤いを感じるような心がけがあるのであろうか、掃除の行き届いた街路、道に向かって並べられた鉢植えの草花、などにその心遣いが感じられる。また、いかにも地域住民に利用されるような理髪店や商店に生活感が感じられる。都市における風致は、こうした住民の生活感と結びついているのではないだろうか?これに対して、荒涼と感じる都市風景は外来者の視覚なのであろう。今は荒涼としている風景が、かっての賑わいの場所であることは、賑わいそのものが、見かけ上の風景であったのかもしれない。町並の繁栄と衰退が市街地の中で交互に展開していくなかで、風景と風致の交互作用が働くならば、市街地の歴史とともに、都市風景の文化的展開が生まれるのではないだろうか?
 市街地のブロックから切り離された門前町は歴史的な底力を顕在化させている。背後にあった善光寺門前町の正面となり、かっての門前の性格を復元させてきた。しかし、市街地との分断は、都市の活力から無縁となり、歴史的環境として生き残っても、その活力を失うことになるかもしれない。市街地もまた、深い歴史性に連続しない、現世的な町に終始することになる。そうした点で門前町の歴史をつなぐ使命は大きいのといえる。門前町善光寺の前庭か、善光寺への参道の門前町なのかは、その大きな分岐点である。前庭の風致に止まるのではなく、参道として善光寺と市街地を結合する風景の軸線を担うものでなくてはならないと思うのである。