風景の主体 枯れ草を焼く人々

 草刈場はかって豊富に存在していた。そこにはススキ草原が成立していたと考えられる。現在、ススキの生える場所は高速道路の法面などに見られるが、草原の広がりは失われた。高圧線の下には森林になって電線に触れては困るという理由なのか、刈り払いが行われるようである。そうした刈り払いがどのように行われたかはわからないが、塩尻の下西条で、高圧線の下の草地を管理して、野草を育成しようとする活動が展開している。もう、10年を越える程に続いており、毎年、冬を前にして枯れ草を刈り取り、それを集めて燃やしている。
 何故、そのような活動に取り組むようになったのか、理由を聞いたことは無いが、私も草原の冬仕舞いの手伝いをしている。荒れ果てた高圧線の下の草地は毎年の手入れにも、クズや背の高いアザミの繁茂などで、安定した草原とはなっていない。手入れを停止すれば、もとの状態に戻るかもしれない。一旦始めた活動は今日まで持続し、早春からの草花が楽しまれている。その楽しみだけのために労苦を惜しまない人々。ほとんどが中高年の人々で、地区住民への呼びかけにその都度、自由に参加している。参加した人々は、作業を思い思いにおこなって、自然に分担関係があり、適当な時間で休憩し、茶菓子に相互の交流が生まれている。地区住民の行事となって、住民に根付いたものとなってきているようである。
 草原は「野っ原」と名づけられており、やや、谷あいの出口にあたり、山と野の境になる場所である。草原は、草刈とともに火入れが行われて維持されるが、火入れは有機質を除去して土壌の肥沃化を抑制し、森林化を防止するであろうし、翌年の草の生育に枯れ草が障害とならないようにする効果があるのであろう。ここでは、刈り払った草は利用されることもなく、集められて燃やすだけである。野の資源も畜産の衰退した今は、空しい限りである。ススキを材料にした茅葺屋根ももう、めったには見られない。
 枯れ草を刈り払った後は、冬を越すロゼットが姿を見せた。アザミにニリンソウであろうか。春になれば順番に花を咲かせ、茎や葉が伸びるに連れた競争が激しくなるのであろう。毎年繰り返される草花の消長に、枯れ草を刈る人々が手を貸している。何のためなのであろうか。私自身、この人々に参加して親しくしてもらうためなのであろうか。私利私欲のない、純粋な人々の遊び心に、心洗われるためなのであろうか。