森林公園の変質 森林セラピーについて

 森林セラピーが事業として展開していくに連れて、その根拠の希薄さが明らかとなり、森林の快適性、森林浴にまでセラピーの範囲が広げられようとしている。しかし、これは大きな逆行といえる。森林浴は自然休養林制度が発足して、林野庁長官が森林利用のイメージアップとして生み出した言葉であり、海水浴、温泉浴へとイメージが連動している。そして、森林快適性は、生活環境の快適さと連動し、森林アメニティとして取り上げられたと考える。森林セラピーが現在、急に取り上げられている必然性は何であろうか?中高年などが健康維持のために森林利用を行う姿を森林公園で見かけられているが、その理由は明らかにはされていない。散歩の場所として森林環境が好まれている理由の研究が必要といえる。しかし、それを森林セラピーと言えるものでもないであろう。
 園芸セラピーは園芸作業による障害者の治療効果が考えられている。アニマルセラピーは動物との交流を通じて閉ざされた心理の開放効果があるのであろう。音楽療法、絵画療法、アロマセラピーと様々な方法で、障害、心理的なストレスの改善が考えられている。森林セラピーは上原の研究では障害の改善のための作業療法として林業作業が導入された事例を対象としている。園芸療法に類するものであろう。森林環境がどのように効果があるかは、部分的な問題であり、明らかにされてはいなかった。すなわち、障害改善における森林セラピーも未成立な状態である。
 温泉地が湯治場とも呼ばれ、西洋にも、温泉保養地が成立した歴史がある。それは温泉に限るものではなく、海岸保養地、高原保養地が成立している。医療の未発達段階で、治療は自然治癒に大きく依存していたことが、そうした保養地を成立させた理由であろう。上層階級の療養の場としての温泉地、海岸、高原が利用されていったことによって、休養利用に広がり、保養地が成立していったことはイギリスのバースなどの歴史が示している。民衆の生活向上と環境悪化から、戸外環境における休養活動は、生活に不可欠なものとなり、都市公園、都市林の休養利用を成立させ、保養地も大衆的な利用が拡大したといえるだろう。しかし、大衆的利用の段階では、保養地が療養地であったという性格は薄れていったといえるだろう。
 西洋の保養地は、日本では避暑地として導入されていったことは、田中の「日本の自然公園」における雲仙などで明らかである。その避暑地の必要は西洋の植民地拡大の一端であった。避暑地として外国人のために開発された軽井沢が著名であるが、日本人の上層階級による避暑地が各地に作られた。戦後の高度経済成長による所得向上は、中間階層による別荘地を拡大させた。しかし、余暇時間の拡大は不十分であり、大衆に保養のための長期休暇を実現するものではなかった。日本の保養地も未成熟な段階と考えられる。また、そこに、療養の歴史も存在しないのではないだろうか。
 長野県で近年の観光利用の衰退が顕著であり、観光地の衰退が深刻となっており、外部資本の撤退も著しい。人工施設の利用衰退や老朽化の一方、観光地の自然環境は開発の危機を脱して保全されており、森林の生育による観光資源的価値も潜在的に増大してきていると思われる。地域における衰退を活性化によって脱出しようとする活動は各地で取り組まれており、こうした資源の発掘も重要な要素である。こうした中で森林の利用拡大の可能性として、森林セラピーは注目されることがあったのであろうか。しかし、療養を必要とする人々の要求によって、セラピー施設が成立しうるのではないだろうか?観光開発による利用者誘致と錯誤があるのではないだろうか、考える必要がある。拙速に利用拡大が必要となるために、既存の魅力ある森林、森林公園として整備されていた森林が、森林セラピーの場に取り上げられることも、これまでの利用の実態が明らかでないままに、森林セラピー利用者に包含され、利用者増加の効果は明らかとはならない点で問題である。これらの状況を分析していく必要があり、そのために森林セラピーの概念が何であるかを鮮明にすることが重要である。