風景の主体 グリーンツーリズム

 農村の地域活性化の上でグリーンツーリズムの言葉が広まった。伊那市にもグリーンツーリズム構想があり、旧村の地区で取り組んできたところがある。この地区には私は十数年のつきあいとなった。明日は忘年会にと誘われ、出席しようかと迷っている。富県地区から地域活性化への協力を求められたのは、中川さんからだった。地区として学童数の減少で小学校の統廃合の心配があった。静かな農村地域が農業が衰退しながら都市化から取り残されたことに、住民のあせり生まれてきたからであろうか?10人の地区の活性化検討委員会に加えてもらって活性化の構想が作られた。その後、グリーンツーリズムによる活性化が地域として取り組まれるようになり、田畑委員長から誘われて、地区のグリーンツーリズムの計画と推進に関わることになった。それから、十年余りたっている。直売所や山林オーナー制によるキノコ山の育成などの事業に取り組まれているが、農村と都市住民の交流の実態は生まれていない。また、いくつかの事業と地域構想も総合化されていないという問題を抱えている。
 伊那市グリーンツーリズム構想によって、実行されたことは、ウルグアイラウンドにおける農産物輸入自由化を農民に合意させるための農業振興のための資金提供を受け入れることであった。伊那市の中では西箕輪地区にみはらしファームの施設が建設され、観光拠点にもなっている。そうした施設は当時、各地に作られていった。グリーンツーリズムの言葉も理解されないまま、陳腐化してしまって、使われることもまれになってしまった。グリーンツーリズムは、村おこしと言われた地域活性化をどのように継承していたのであろうか?村おこし以前は、農村振興という言葉があった。農村振興は上からの政策であり、村おこしは住民の活動であったが、グリーンツーリズムは何を母体としているのであろうか。ツーリズムという点からは農村観光を主体としたのであろうか?
 グリーンツーリズムの先例が欧米に見られたが、農村の持続が課題であったのだと考える。農村の持続は、食糧自給や環境の維持として国民的な問題といわれている。しかし、先進国では高い労賃によって農村人口は都市に流出し、減少する。一方で、後進国の安い農産物が輸入され、農業が立ち行かない。関税撤廃による輸入自由化は、国内の農業の危機であり、そのための農業保護が必要とされた。これには、生産性の高い農業の推進と後進地域の保護策を展開させているようである。日本で行われている農地の圃場整備は機械化農業に適する大規模化のためであろうか?後進地域の支援は、確かに過疎山村に様々な補助事業を展開してきた。それで、農村振興は進んでいるのだろうか。イギリスでは後進地域への経済的支援の理由として観光利用を上げているということである。イギリス人は農村地域を愛好し、都市住民も休養に農村に出かけるようである。ドイツでは農家民宿グリーンツーリズムの実体をなしているそうであり、農家は農業経営を民宿で補完することで、持続でき、来訪者は滞在することで休養となるとともに、農業体験を行うことができるものということである。
 日本の農家民宿グリーンツーリズムであろうか?長野県白馬村は戦後のスキーブームのもとで、農家の民宿が盛んであった。他の山村が過疎問題に遭遇していた時、白馬村はスキー民宿の展開で救われていた。しかし、民宿間や集落間、進出したペンションなどの新たな民宿やホテルとの競争関係が激化し、農家民宿が規模拡大して旅館化していった。長野オリンピック以降の観光客の低迷とともに、白馬村農家民宿は衰退に向かっていった。農家民宿の良さを保っているのは、わずかであるが、投資が少なく、農業と両立させている点で、持続している。非常に早い時期から農家民宿によるグリーンツーリズムが存在していたといえる。しかし、観光地化によってグリーンツーリズムの展開は阻害していったといえる。
 20年前くらいと思うが、ペンションがブームとなって、建設され、利用が増大したことがある。しかし、ペンションのオーナーは多くが都市住民であって、農業とは関連が少なかった。都市的なサービスを農村に導入はしたが、農家、農業とは遊離していた。
 今後、考えられるグリーンツーリズムとは何であろうか?富県地区では、地区内活性化は徐々に進められ、内発的ではあるが、外部に向かって開かれていこうとはしない。グリーンツーリズムの言葉もどうも、合わないのではないかとの声も上がっている。グリーンツーリズムは自由化対策として補助事業の役割を終えて、忘れられていくのであろうか?農業の衰退、観光の低迷という実態を関係付け、広いグリーンツーリズムの展開を模索する必要があるのではないかと考える。