森林風致 カラマツとアカマツ

 紅葉の季節は過ぎ去り、落葉樹は枯れ木の季節となった。木枯らしはまだ無く、夜の冷え込みは厳しいが、秋のぬくもりがまだ残っているようである。山々の山頂から下方へと白さが下降しているが、山麓にまでは及んでいない。山腹の森林は針葉樹の緑と落葉樹の紅葉で鮮明なコントラストを見せていたが、針葉樹の緑に枯れ木の淡い黄土色は添え物に過ぎない景観となった。枯れ木の淡い黄土色を構成する森林にカラマツ林の割合が大きく、山腹の上部の灰色を構成している。緑を構成する針葉樹は山麓では、アカマツ林であることが多く、尾根と南斜面に偏る傾向があるように感じるが、確かではない。北斜面にはヒノキの人工林か落葉樹であると見えるのだが、???信州にはスギ林が少ないので、アカマツ以外はほとんど、ヒノキ林と見てしまう。谷あいの針葉樹はスギ林であるかもしれない。まだ、ヒノキやスギは緑を保っているが、厳しい寒さなのか、茶色に変色して冬を過ごし、初夏に緑へと回復する。季節変化は山の森林の色彩を変化させ、コントラストを際立たせる。
 信州にはアカマツ林がこんなに広がってはいなかったという人がいる。縄文時代には原生林にクリ林か落葉広葉樹林が見られ、落葉広葉樹林縄文人の生活の根拠であったと推定する藤森氏がいる。その後、アカマツ林の広がる時代が到来したのであろうか?200年生のアカマツ林の社叢の神社もあるので、江戸時代後半にはアカマツ林が広がっていたのであろうか?山間地の集落で耕作地と同じ面積の草地が戦後にまで広がるデータを得たことがあるが、こうした草地は利用が減退することで森林化し、自然遷移ならばアカマツ林になったのであろう。近年に特にアカマツ林が増大したといえるだろう。
 また、カラマツは信州カラマツとして日本の唯一のカラマツであり、氷河時代の残存種と考えられている。拡大造林期に早期育成、寒冷地に適応できる造林樹種として、長野県内(川上村・波田町)で育苗され、全国に植林されていった。その結果、長野県内は勿論、北海道を筆頭に全国に広がった。長野県では人工林の中でカラマツ林が最も大きな割合を占めている。
 カラマツ林は山地の上方に、アカマツ林はそれより下方に分布する傾向はあるが、カラマツ林とアカマツ林が隣接して見られることはおうおう見られる。しかし、天然分布から言えば、標高によって、比較的明瞭に棲み分けているようである。どちらの樹種も森林破壊の後の明るくなった林地に先駆的に侵入してくる。アカマツとカラマツが隣接して、対比された状態は興味深い景観である。樹形の相違が、樹群構成の相違となり、それが下層植生の相違となって関連している。森林生態の専門家にこうした相違の生じる要因を聞きたいものである。