風景の主体 農業改良普及員

 富県グリーンツーリズム推進委員会の忘年会が昨夜、開かれた。上伊那農業改良普及所が昨年より、富県グリーンツーリズムに肩入れをしてくれている。若い農業改良普及員が隣席にあったので、いろいろと話をした。地域に適合する農作物の栽培から流通までを農家に進めることに意欲と悩みを持っていることを熱心に話をしていた。愛知出身で自分の実家の農地は親は人に任せてしまっているとのことであった。新たな農作物の推奨は失敗に終わることが多かったこと、やはり、地域に適合する作物に地道に取り組むことの必要を語っていた。富県のグリーンツーリズムの取り組みが、都市とのの交流の点からは本来から、離れているけれども、安易に施設建設などに走らず、地域資源の開発や住民の意欲発揮に重点が置かれていることを評価していた。現実は、そうした地域住民の活性化を評価する方法がなく、建設実績で評価されることを嘆いていた。若い意欲に心強く思い、忘年会に参加したことを喜んだ。
 農家の農業からの離脱、高齢化の進行によって、農業の担い手が極度に少なくなる事態が心配されている。圃場整備による機械化の推進と農地の耕作委託などによって、農地として持続しているように見えるが、農家の実態は農地の持続も困難になることを予想させるものである。これに対する対策として集落営農とという言葉が盛んに使われ始め、どこそこの地域が集落営農組合を結成したことが地域のニュースに取り上げられている。富県で農地の維持の実態を聞きにいったことがあるが、委託を受ける農家は数が少なく、委託したい農家の需要に応えられない状態を聞いたことがある。それからすれば、集落営農組合は大きな展開だったと考えていた。
 しかし、若い農業改良普及員は集落営農組合に否定的であった。それは、集落営農組合は当初、農協が農地活用の苦肉の策として、集落単位で農家が相互にやりくりすることを相談する組織として展開しようとしていたが、国がそれに補助金をつけ、その結果、補助金獲得のための形式的な組織へと変貌しているというのである。多くの集落営農組合が成立したが、実体がなく、農地活用の展開が思うに任せない状態となっていると考えられ、農地存続の危機は厳しい状態になっているといえる。
 富県地区では、放棄耕作地も目立ち始め、一方、耕作地の中に数戸単位の小住宅地が点在してきている。地価の安い農村地域に、農地を持続する意欲を失い、現金収入が得られる点から、住宅地開発へと向かったのだろうか。個々の農家によって散在的に開発が進むために、広々した農地の景観は区切られ、住宅の混在する郊外景観へと傾斜していこうとしている。静かな農村地域として、住民もその環境の良好さを認識しているにも関わらず、農業の担い手の減少から、農村景観の改変が生じていこうとしている。グリーンツーリズム推進の取り組みが、農村環境持続に寄与することを願う次第である。