風景の主体 登山家と登山者

 南アルプスなどの山岳風景の主体は登山者であるが、かっては登山家であった。長谷村から大学に入学し、出会った伊東君は生まれついての登山家である。ある雪の降った朝に長谷村で伊東君に出会った。それまで山の中で過ごしていたという。鋸岳の山頂近いハイマツの中で寝ていたというのである。寝袋も持っている様子も無く、野宿したようである。結婚式に出席した時に、自分の登ってヒマラヤのなかの一峰の写真を頂いた。卒業後、海外援助隊に入り、そこでであった隊員との結婚だった。伊東君のお父さんも、自給自足的な山村生活を続ける山人である。著名な登山家が老後、南アルプスを見ながら過ごしたいと、山奥の小集落に住んでいたことがある。登山関係の本を沢山持っていて、山好きの人々が訪問していたそうである。しかし、ストーブに薪をくべていた際に火災となって、大量の蔵書とともに亡くなってしまった。私は会ったことは無かったが、山の風景を憧れて住み着いた登山家に心惹かれていて、その最後を悲しんだ。
 山男が都会の生活を離れて、山に近い田舎に住み着くことは多いのであろうか。塩尻市下西条の鈴木さんもそのような人である。秋に鈴木さんのお宅近くを通りかかって、丁度ブドウ(ブドウ酒にするコンコード種)を収穫したのでと、大きな箱に入れてくれた。熟したブドウは香りがよく、なんとも言えず、おいしかった。ブドウ園も本格的に広く、とても以前の都会暮らしは想像できないぐらいであった。しかし、昨年の早春、下西条の緑の会の作業途中に、福寿草の野生を見に山の中を連れて行ってもらった。岩のがらがらした山地に株立ちナラが生え、落ち葉と岩の間から鮮やかな黄色の福寿草の花を見た。山の隅々までを踏破し、目ざとく、珍しい野草の宝庫を発見しているのだ。いや、地元の人と仲良く暮らして、山の様子を教えてもらって、地元の人たちと一緒に野草を楽しんでいるのである。緑の会の推進役で霧訪山の山頂に眺望の稜線を示した銅版を設置し、それ以前には霧訪山への登山路を整備して、下西条からの登山者が増えている。