森林風致 アカマツ

 犀川沿いの山間地は山が迫り、崩壊地も諸所にみられる。地質がどのように違うかは分からないが、渓谷の松本側にはアカマツが目につき、長野側にはスギの植林が目についた。そのアカマツが断崖にへばりついている生息している様子に、中国の山水画の松を思い浮かべた。岩石の間に根を下ろして風雪に耐える松の姿が、山水画の題材に取り上げられた理由であろう。生態学的に言えば、他の樹種の侵入できない場所に侵入することが優先して生育できる理由となるのであろう。崖は風化し、崩壊し、崖を再生産し、アカマツはいつまでも生育できる。アカマツにとっては最適な生育地が崖であった。中国の山水画は、険しい崖を描こうとしたのであろう。
 こうした崖のアカマツを見ていると、広く山麓などに成立しているアカマツ林は恵まれすぎている。断崖はどこにあるものでもない、地形輪廻の中ではごく限られたステージに出現する。そんな場所でアカマツは持続的に生育できたのだ。人間が山地を荒廃させ、そこに初期の侵入樹種として、アカマツは勢力範囲を拡大した。草刈場が放置されると、さらにアカマツの生育が進んだ。しかし、それは、植生遷移に任されて、アカマツ林の衰退の一歩であった。
 城山公園は松本でもっとも古い公園ということである。アカマツの老木の樹林に東屋が添景となっている一角がある。公園の中心は芝生広場で周囲に回遊路があり、それに面してサクラが列植されている。いかにも日本的な感じで、西洋に由来する公園らしさが芝生であるので、和洋折衷で、松本城とともに擬洋館の見られる市街の景観にも通じている。県の森はヒマラヤスギがどうどうと生育しているが、かっての近代の知識を広める象徴としての八高の添景であったのだ。あまけに、松本城にまでヒマラヤスギが植栽されて、天守閣に違和感をもたらしていた。現在は盆栽風アカマツに植え替えられている。アカマツがあれば、何故、日本的と思うのであろうか?松本の住宅地の玄関口には門冠りの松のある家も多い。和風の住宅とよく適合している。
 南ドイツに行って、アカマツ林が多い印象をもった。条件反射的に日本かな、と思ってしまった。ドイツトウヒやモミ、ブナの植林地も多く見かけたのに、アカマツはドイツには違和感を感じてしまった。密生していて、あまり美しいとは感じられなかったこともそう感じた理由かもしれない。日本のみすぼらしさとアカマツ林のみすぼらしさが重なってしまった。日本のアカマツ林がすべてみすぼらしいわけではない。大芝公園アカマツ林は立派であり、笠取峠の松並木も見事である。しかし、日本人は以前のように松を珍重しなくなったのは確かである。