風致と風景 生駒山地

 今、姉夫婦の家から生駒山を眺めている。姉夫婦と父の家族は、1年前に越して以来、西側に見える生駒山から信貴山につながる山並みと空の変化を楽しんで暮らしている。生活と風景とはいかなる関係にあるのだろう。
 ハワイの高級住宅地は山腹に開かれ、下方に海岸と水平線が見渡せる風景が楽しまれるようになっている。いかに、風景が価値を持っているかを示している。日常生活における雄大な風景は、雄大な風景の変化の中で営まれる生活へと転化するのではないだろうか?生駒山はハワイの水平線の雄大さに比べれば、ささやかであり、山頂には電波のための高い塔が林立し、山並みには高圧線の鉄塔が並び、山腹は団地開発が進んでいる。それでも雄大さを感じるのは、視界の広がりによる山並みの長さと稜線の変化、それに応じる空の広大さがあるためであろうか?生駒谷の奥行きが、山頂を引き立てていることも効果的である。
 東側には奈良盆地を隔てる東山の山並みが見られるが、住宅地開発や山の放置が近接して、前の古い家から見た、月の昇る優雅な稜線の趣は失われてしまった。半世紀も以前に両親がこの地を見つけて、しばらく、私も住んだことがあったのだが、奥深い山谷は、遥かに開けてその姿をすっかりかえてしまった。大阪平野奈良盆地を隔てる生駒山地と東山、その両側の山に挟まれた生駒谷に、その家があり、家族の歴史がある。しかし、この生駒谷の複雑さのその一端にしか触れていないのだ。平群には長屋王の墓があり、生駒川は竜田川となり、法隆寺に近づける。古代からの長い歴史と地域社会があるのだ。
 姉は夜の山並みを眺め、山中にきらめく人家の光の点在や車の光のの移動に、人の生活する息遣いを感じるという。山腹の暗がりは瞬く光で確かに生きているように見える。昼の明るさの中では、木々に覆われた山腹も、夜の印象から山里の気配に満ちている。実際に山中をいけば、小さな谷を這い登る集落の家並みがあり、山腹に開かれた畑が、樹林と交互に現れてくる。一方、都市に近接して住宅地開発も行われているのである。自然と人工、歴史と現在が交叉するような複雑さが、荒廃か、豊かなふくらみとみるか、なにかわからない雰囲気を生み出している。
 大阪側の斜面は、奈良側よりは急峻で、こうした土地利用は少なくなり、山林で覆われている割合が多くなる。以前に大阪府による委託で「生駒山系の緑化対策」に取り組んだことがあった。都市近郊の山地、山麓の都市開発が急速に進められていた時代であった。その頃から比べて、森林は成長し、その厚みを増しているのに、森林の荒廃を感じるのは何故であろう。松枯れ病の蔓延で、雑木林が主に残っていき、それを利用する人もいなくなったためであろうか?それとともに、かってはよく見かけたハイキング客が山に入れなくなり、限られた歩道しか利用されないためであろうか?山と利用の実態を調査してみなくてはわからない。
 生駒山の風景には、現実の複雑さとともに日常生活のあり方を感じるのだが、それ故に、一層、空の景色や自然の変化を鮮明に感じるのかもしれない。