風景の主体 生活者

 私は今目覚めて、服を着て、布団をたたみ、ゴミを出し、食事を作って食べ、食器を洗いというように、生活者である。その生活の大半は住居内である。生活するマンションの住人もあまり、住居から顔を出さない高齢者が多いが、駐車場の自動車が8時過ぎには少なくなっているところを見ると、勤労者も住民の半分はいるのであろうか。所得を勤労によって得ていないと、無職と言われる生活者である。すべての人が生活者であるが、無職であったり、勤労者であったりと区分される。人口減少と高齢化によって今後の10年〜30年で労働人口は急減し、高齢者を労働人口に組み入れられないかが問題となろうとしている。
 生活者であることは、住居の居住者であり、住民であるということになる。また、必要な物資を購入するために、買い物に行くと消費者であり、商品を供給する生産者に対自することになる。住宅地や商店街は、生活者の諸側面が社会的に集合して、空間としての現れているものであり、その消長は社会的、経済的関係を示している。
 それぞれの場所における人々の行動は、それぞれの人の生活の場面となっているはずである。様々な場所で、こうした行動を観察し、その観察を総合化することによって、現代の生活構造の特性を見出すことができるかもしれない。場所の利用者、経済的な消費者に対して、場所の提供、商品の供給の社会構造の実態を対応させれば、生活者を成立させる環境条件を考察できるのではないだろうか。
 乱雑な幹線道路沿いの景観、大型の店舗が並び、それぞれが、大小の駐車場を持っている。その空地に突き出して形、色も様々な広告看板が、重なり合って見える。通行し、停滞する車の列、その中から消費者となる人を引きとめ、導入しようとしている。その需要がなければ、その店舗は成立し得ない。経済的な競争の場面なのであろう。こうした風景を生み出すのは、企業や商店であるが、それを支え、欲求するのは、一定の需要層である消費者としての生活者なのである。
 今年は2008年は、終戦の1945年から、63年目となる。戦中を知る世代は高齢者となっている。明治維新の時代を知る世代が高齢者となっていた時代が、終戦の時であった。明治から戦後、戦後から現代へと人々の生活とその環境、景観はいかに大きく変化したことであろうか。