場所と場面の構造 山のイメージ

 山のイメージは、様々なイメージを喚起するのではないだろうか?日本では山地の占める割合が大きく、平地が少ない。平地が農業や居住に適した場所として利用されやすいのに対して、山地が急峻さを増すほど利用しにくい場所として森林が維持されることが多く、人々の近接を阻む障害となって、森林も自然林として保たれることが多くなる。人の住んでいる場所にとって、山は場所の境界となりながら、その面的広がりのイメージは際限がないといえるのではないだろうか。平地に残された残丘は、独立した島として山がイメージしやすく、その範囲は平地の居住域が境界となり、山あるいは丘には名前がつけられている。居住域の境界となる山とその山頂にも名前がつけられ、利用され場所にもなるが、居住域から視覚的な境界となり、囲繞景観の構成要素となっているためであろう。
 事例から考えてみれば、独立した山として、京都の吉田山が思い浮かぶ、吉田神社の境内の裏山でもあったことが、森林を維持した原因であろう。これに対して京都盆地の境界の山が東山である。東山は稜線と山腹が市街からの眺めとなり、滋賀県との境界をなしている。北山、西山も盆地の境界となるのだが、眺望としては目立たず、その山地の奥行きは広大である。神戸の六甲山あるいは六甲山脈は眺望として際立っているが、やはり、その奥行きは広大である。
 眺望として際立つのは平地に対する稜線までの標高差の大きさによるのであるが、平地の広がりの大きさと、見る地点からの距離が関係している。眺望は視覚的イメージとして住民に共有のものとなり、山頂への命名は境界のシンボル性を強調するであろう。松本の場合のように、都市のイメージの構成する要素となる。都市に近接した山に森林が成立している点で、都市林としての利用の場にもなりうるであろう。平地にも京都の下賀茂神社などのように聖域として森林が保持されていれば、都市林としての利用がなされている。
 見えている部分は一部でその背後には広大な山地の広がりがあるというイメージは、各所の居住域のある日本で成立するのか疑問であるが、山菜取りや登山者が山中で迷って何日も出てこれない事件も起こる点では果てのない山のイメージをもたらす空間が生じているのであろう。京都北山は戦前より過疎が進行し、廃村が生じていたことが森本によって指摘されているが、山里がなくなり、広漠とした藪山となることも未知の領域を生み出す原因だろう。里に住む人々は山の奥行きから奥山として距離感を抱いていたといえる。奥に行くほど険しくなり、人の行く手を阻む山のイメージであろうか?険しく深い山は、山岳へと連続し、人々はそこには近寄れない奥地となり、流域の境界をなしている。その山岳の稜線の山頂は、広大な山塊のシンボルとなる。その山頂には深い渓谷、長い稜線を経てやっと到達できるが、宗教登山や近代登山として試みられるに過ぎなかった。山頂に立つ眺めによって山塊を一望でき、広大な山のイメージを抱くことができる。しかし、山塊の面的広がりを経験しているわけではなく、山腹の森林、渓谷の小さな地形は未知の世界を構成し、秘境の存在を期待させる。