場所と場面の構造 里のイメージ

 山から下りてきた時、里を感じる。人を感じるといったらよいのかもしれない。人気のない山奥は寂しい。それは、自分を里から来た人間と感じているからであろうか?山になじみ、山の様々な事物に興味を覚え始めると、山奥は賑やかになる。里にも山里があり、人里がある。山奥に住む人の作る里は、なんと寂しい所かと感嘆するが、身を寄せ合うような家々の配置にぬくもりを感じたり、また、厳しい自然の中で孤立した山里に峻厳さを感じる。それにしても里といえば、人気があり、人々が生活する場であろう。
 里は古里として過去からの連続性を持っており、家々を中心とした農地、山林への空間的広がりをもっている。近代は農業から工業への転換をもたらし、工業文明として成立していき、人口は農村から都市へと流出していった。都市住民は農村を故郷として意識するようになったといえる。都市空間は人工的に形成され、また、社会関係も契約社会として個人主義が横行する寂しい場であることによって、失った古里を故郷として懐かしむ感情が生じるのであろうか?望郷は失った里への思いであり、幼き日にもどりえないように、実現しえない希望であろう。
 生まれ、育った場所が故郷であろうが、私には帰るべき故郷はない。祖父の時代から里を出て生活し、町に定住し、さらに父は仕事の場を各所に移り、その先で私は生まれ育ったからである。近代社会は多くの人々を里から都市へと流出させ、その故郷から遠のかせたのであろう。望郷の念も帰る古里がなくては、かなわぬ夢なのである。そのかわりに、場所からの拘束を開放し、自由な旅人を生み出した。自由に移動した場所こそが、求める郷里なのだ。
 古里から都市への人口流出は、都市地域を過密にし、拡大させるとともに、古里である農村地域を衰退させようとしている。流出する若い人口も枯渇し、ついには高齢化によって人口の減少が急激に生じることが、予想されている。農業労働力の減少によって農地が放置され、里の火が消えていく。里が野にかえり、野が林へと帰った時、里が失われる。既に林や野が利用されなくなって久しく、野や林に里の広がりも感じられない。
 林が利用されなくなって、里山という言葉が広まった。全国的に里によって利用されていた山が放置されていったが、利用されない森林の範囲がどこまでかが、問題とされたからである。里山の範囲は、土地所有の面から個人有林、共有林、公有林などとした時、国有林を除く区域が、その範囲と想定され、森林面積の3分の2が里山となる。利用されず、人気のない山林は、里の名を冠することに実感できない。確かに、国土の隅々に広がる里によって、かっては相当、山の奥地まで里の領域として利用されていた。それが、現在の土地所有を形成している。しかし、里の利用の実体が失われて、里山と呼ばれるようになったのは、おかしなことに思える。
 里地という言葉を聞いたのは、いつのことだったか、そんなに前ではないと思う。里山の言葉に対して、里地という言葉が生まれたのか、もともと農業土木などの分野で使われていたのか、確かめてはいないが、何か変な感じがしている。もともと、里は農地も山をも含んで成立していたのではないだろうか?里地も里山と同じように、農地の衰退が里地という領域を必要とさせたのだとすれば、里の衰退は、深刻だといわねばならない。
 里を人々が集まって住んでいる場所とすれば、集落という言葉が該当するのかもしれない。あるいは村という言葉も該当するのであろう。集まって住む人々の社会関係には共同体の性格が見られる。集落のシンボル、共同体の中心として、神社が見られ、神社には祭りがある。人々は農地を耕作して生活し、先祖代々の家に居住する。共同で水を管理し、山を利用する。そのような村里のイメージは、現実にあるのだろうか?里自身が変質し、辻広場に遊ぶ子供は見られず、祭は盛り上がりを欠いている。工業文明の中では、かっての里への望郷もまた失われたものなのであろう。