風致と風景 風景計画

 風景計画の技術は、視覚空間の操作として成立するとしておくとして、計画の目的設定は困難である。そのため技術そのものの確立を難しくしている。目的設定の困難さの原因は、風景の知覚が主観的であることである。主観的とは、注意を向ける視線が人により異なること、見る場所の選択が異なることである。見る場所の選択が、多数で同一であり、注意を向ける視線が同一であることが、共通であることがありうるのであろうか?風景計画を行う計画家は、そこに疑問を持つであろう。計画家自身の見る場所の選択、向ける視線の選択が、個人の主観的判断であるといえる。さらなる困難は、風景が瞬間的、表層的なものであるということである。しかし、主体の生活する環境における風景と考えるならば、生活の様々な場面、視線、瞬間を包含したものと考えられる。生活主体は、行動場面の繰り返される遭遇、場面の全体理解のための様々な視線の総合、時間循環における瞬間の共通性などによって、日々、繰り返される日常風景の知覚がある。そして、並列した住居を中心に生活環境の広がりが考えられ、それらの生活環境の重なりが、共通した日常風景を知覚させるのであろう。