森林風致 大雪山の思い出

 先日、大学時代の友人2人と松本であった。かって、大雪山(旭岳)に春スキーに2度、出かけたことがあった。山麓国有林の施設に泊まり、毎朝、スキーを担いで山頂直下の小屋まで行き、そこから滑降してくるのだが、登りに3〜4時間はおおげさかもしれないが、かかったように思う。森林帯を抜けたはずだが、記憶に残っていない。45,6年前のことだ。難渋したのは、ハイマツの山腹であった。かんじきが雪にもぐっては抜け出せず、数人の友人もあちこちで苦戦しながらの登山であった。春で表面の雪が硬くなっていたからよかったが、新雪では身動きできなくなったであろう。周囲にわれわれ以外に動くものはおらず、遙か彼方までが森閑とした中で、ハイマツについた雪をかきわけるジャリジャリという音が大きく響いた。小屋は山すそのなだらかな台地にあって、台地は歩きやすく小屋の前に容易に到達し、これまでの苦労が報いられた。
 当時は、ハイマツで焚き火が行われ、小屋の周囲は裸地が広がっていた。お茶をわかし、握り飯を食べて、山頂と下方の景色を飽きずに眺めた。旭岳は赤茶けた岩塊のようで、とても登る気にはならなかった。下方の山すそは雪に覆われた山地が広がり、雄大な自然を感じさせた。目前から下方への斜面はその雄大な眺めへと連続し、楽しい滑降を予想させた。よく見れば、登りに苦しめられたハイマツが下方に向かって筋上につながり、その間には沢の雪面が滑降コースを容易しているようであった。
 この山の広大さと静けさは、ヒグマの出没に恐怖へと変わるだろう。小屋に泊まった登山者が、ヒグマの侵入に逃げ惑ったこともある。滑降を始めたハイマツの木立は、クマが潜む気配に恐る恐る過ぎ去る物陰となる。沢筋の滑らかに見えたゲレンデも、沢の段差が邪魔して簡単に進むことができなかった。やっとたどり着いた山すその森林地帯が何と平穏だったことか。スキーで歩く楽しみと森の暖かさにほっとした。国有林の施設には温泉があり、楽しい夜を過ごすことができた。
 その後、マスコミで大雪山横断道路反対が取り上げられていた。学生時代から10年後に大雪山に行った時、ロープウェイがかけられ、森林やハイマツはゴンドラから見下ろした。登った先は観光客の雑踏があり、登山路は踏み荒らされて広がり、かっての面影はうかがうこともできなかった。われわれの若い時代の環境は失われ、その場所を知る者もその場所を知る以前の環境を知らないままに、年老いている。