森の内、森の外 はじめに

 「森の内、森の外」の様々なテーマについて、「はじめに」がないという指摘をうけたので、遅ればせではあるが、問題意識と総論を述べていこうと考える。コメントもできないと言われて、ドグマとなるならば、公開の意味もなくなってしまう。これでいいのかと自問自答して追求しようとすからこそ、多くの方々からの反論や意見、できれば評価も得られることを念願している。これまで記述した散文は、日記としてのメモでもあるが、ある追求する主要なテーマの各論を構成しようとする意図も含まれている。各論から始めたが、今後、全体をまとめた論を展開する上で、総論となる全体仮説を示そうと考える。
 大きなテーマは人間と環境及び自然との関係である。環境に適応して生活した人間が、環境を改造して生活するようになる。環境を改造し、戸外生活環境を創造する点に、造園を位置づける。造園における戸外環境と休養との関係に、新田は生体の物質代謝としてメタボリズムを適用しようとした。環境の物理的な操作は、作用と反作用の関係により、感覚的な操作は、環境刺激と感覚反応の関係によって実現され、造園の工学的な考えを進展させている。こうした造園の原論を一つの課題としている。
 人工的な創造物である生活環境も、自然環境を土台として成立したものであるが、都市の拡大は元来の自然環境を喪失させた。人々は残された自然環境を、風景として評価して、保全や育成に取り組むようになった。個々の風景知覚に見られる社会的背景の考察を二つ目の課題としている。これは風景知覚の主体と知覚される視覚像を構成する風景要素、主体の位置する場所と視覚対象との関係によって構成される知覚の場面構造との関係において見られるものである。
 主体の位置する場所は、生活の行動場面によって生じるが、都市の人工的環境と対比的な自然的環境が森林であり、都市民の休養要求の増大は、森林環境における開放感を必要とした。休養の場として森林のもたらす環境の作用が、森林風致といえる。林業家は休養要求の増大に即して、森林風致育成の必要を感じて、森林美学の成立を見た。森林風致はどのように生じるのか、その森林風致の育成をどのように行うのか、は大きな課題であり、清水の研究展開があり、普段に論議していることを三つ目の課題としている。
 これまで項目として環境、風致を造園する方法論・住宅庭、風景の主体、風致と風景、場所と場面の構造(神社空間)、都市の風致、森林風致(森林公園・原生林)の7つを掲げている。結果的に「風致と風景」がもっとも多くなっていることで、重点が風景に偏っている。既に、拙著「風景概念の構造に関する考察」において風景の論理的な骨格を提示しているが、ここでは、その現実的な実体から考察を進めようとするものである。主体の生活行動における場所、場所に成立する場面、場面と風景要素及び景観の関係によって成立する風景を実体的に考察することを意図する。
 さらに、風景に介在する場所に生じる風致を取り上げる必要があることを、展望として指摘しているが、風景を介在しないで成立する場所の風致が、森林風致であるといえる。これは研究成果を収斂させて、共同して森林風致計画学の教科書作りに向かうことを期待している。
 また、さらに造園学に関する課題は、当初の大テーマ、環境と人間との関係の様々な場面に生じる事象を散文的に記述しておき、新田の工学的な造園の考えを、より、大きな枠でとらえて造園原論に挑戦していきたい。以上の3つの大きな課題に共同、協力者が得られ、論議ができることを期待する。