森林風致 森に入る人々

 森に入る人々を思い起こすと、山は山菜採りに入ると先に来ている人が多く、山菜が取れずにあきらめたことがある。これは地域住民であろう。次に登山者、ハイカーがいる。山岳や高原などの、登山路やハイキング道で見かける人たちだ。ハイキングも地域住民の行事として行われている場合も見られる。学校の遠足は教育の行事であろう。近くに森のある人は、散歩などで出かけることがあるだろう。山麓に位置する農村の住民は、森林育成と利用のために山に入っていただろうが、利用が衰退し、育成することがなくなれば、山に入る必要も少なくなってしまう。林業労働の従事者は、仕事の場が森林となって山に入るだろうが、産業としては労働人口は微小である。都市環境では、公園や神社が飛び地としてあるだけであるが、公園や神社の散歩などに樹林が含まれる。他には森に入る人はいないだろうか。自然観察などに趣味を持った人が、森に訪れる人もいるだろう。
 ランダムに思い浮かべたが、分類すれば、主体として都市住民と農村住民と林業従事者が上がり、生活空間として日常生活空間、休養空間、自然空間、自給採取空間、林業生産空間が上がり、地域・環境としては都市地域、農村地域、森林地域が上げられる。地域、主体、空間による利用の分類に対応して、森林の規模と質的特性が関係している。
 大芝の森林に訪れる人の属性と利用の特徴、赤沢自然休養林に訪れる人の属性と利用の特徴とは、相違することは間違いない。利用されている森林を取り上げ、利用者の属性と利用の特徴とを調査して比較することが必要であろう。大芝も赤沢も、林業生産空間であったが、休養空間に転換している。大芝は日常生活空間の圏域にあるが、赤沢は日帰り、ないしは宿泊利用の圏域となる。大芝の森林はほぼ百年生のアカマツにヒノキの二段林として構成されており、赤沢はおよそ3百年生のヒノキ林で構成されている。面積の規模も相違しており、平地林、山地林と地形の相違もある。それが利用の特徴とも関係しているのであろう。どのような森林が、どのような利用者と関係しているのであろうか、それによって利用者は森林からどのような風致を享受するのであろうか、を考えてみる必要がある。
 森林を利用する人々、利用する可能性のある人々に、森林風致の魅力をアッピールし、森林に導入するために、森林風致入門の必要がある。森林風致の魅力を知るものもまた、森林の利用者でもあるが、どのような利用者がもっともその魅力を知る者であろうかが、次に問題となるだろう。
 一方、森林を利用しない人々には、どのような人が考えられるであろうか。森林が近くに存在しないことが、条件であるとすれば、農山村には考えられず、都市であるということになる。森林が存在せず、人工的環境で生活する人は、特別の意識をもって人工的環境を抜け出して森林に接近する必要がある。その特別の意識を持たないで、急に森林に接した場合、森林は異次元の世界として、森の中に入ることを躊躇するだろう。実体験がまだ得られていないで、森林を意識するとすれば、知識あるいはイメージであるだろう。知識やイメージで森林を憧れた時に、森林に接近しようとするのではないか。この点で、知識やイメージの提供も重要であるかもしれない。