場所と場面の構造 市街の形成

 山村の中にも町があることを、見かけて感心したことがある。農村生活の拠点として都市から隔絶した山村には、かえって都市機能が必要であるのだろう。居住環境として自立的に存在する必要があるといえる。村々が街道で結ばれ、その中心集落には生活拠点となる町が形成されている。北海道の開拓集落と思われるところには、鉄道の駅から正面の街路と幹線道路が直交して数軒の商店による市街が見受けられた。当時は自動車交通も発展しなかったので相当広範囲な区域から鉄道の駅と市街のために歩いて集まってきたのであろう。
 近代以前の都市として宿場町や城下町が形成されたが、それらの町が、基盤となって都市発展を遂げたところと、衰退したところとの格差が生じたのであろう。また、工業の発展と人口集中は新たな都市形成を遂げたのであろう。現在の都市の形態は、都市基盤と都市発展によって形成されたと考えられるが、多様な都市形態が見られる。こうした都市形態と都市機能の関係から、今後の都市の持続性、機能の発揮による発展性が考察できると考えられる。都市機能は居住環境の面からは、利便性の面に付随する。すなわち、公共施設と商店の集中であり、到達するために交通状態であるだろう。
 都市機能の根源について、マルクスによる共同体論における考察がある。原始的形態から、アジア的形態に展開したのは、狩猟採取経済が農業文明へと進展したために生じたが、共同体内部では、職業的な分業が生じており、自給的な共同体にも部分的に交換経済が生まれてきていた。その共同体を隷属させ、支配することによって古代専制国家が成立したとされる。すなわち、共同体内部の都市機能の萌芽の展開が、オリエント、中国のアジア文明のもとになったと考えられた。古典、古代的形態は、共同体内部の成員の自立が奴隷制度によって可能になり、市民として都市に集中して生活するようになったことによるものであり、市民による共同体としての都市が形成されたといえるのである。都市空間は神殿、広場、公共施設、市場、港、市民の住居で構成され、都市機能を整備していた。一見、近代の市民の自治による都市との関係に似通っている。
 しかし、その社会的土台には基本的な相違がある。近代における都市は、交換経済の段階を過ぎて、高度な分業化と自由主義による市場経済にあり、その市場は極大な状態にまで拡大している。今日、人々の経済生活が国際的な市場経済、広範囲な流通経済の動向に左右されているのが、現状であり、都市の盛衰もこれらの影響が作用している。近代都市には強い共同体の規制に替わって、個人の権利と自由が存在ものとなり、資本の占有による優位関係とともに、空間の無秩序が支配するものとなった。
 地域に点在する市街として都市を見れば、地域という面に対して大小、形態の都市空間を見出すことができる。面の広がりは農村地域の集落、農地、山林で構成され、工業団地や住宅団地の散在も見ることができる。また、道路網が面を覆っている中で、幹線道路沿線にそって大型店の進出が見られ、周辺に住宅地が形成されて、新たな都市空間が展開している。都市空間の大小の規模は、利用圏域の範囲と関連していると考えられる。各都市空間は利用圏域によって補完し手関連するが、競争関係として都市空間の盛衰に作用すると考えられる。こうした仮説で大小、規模の異なる都市空間を評価し、居住環境の利便性としての機能の相違、発展性を評価することによって、都市整備の方向を見出すことができると考える。
 都市空間の規模、形態からの分類を、伊那谷で概観してみれば、規模としては大中小に区分して(商店数などから量的に判断することであるが、今回は概観としてであるので)、伊那市駒ヶ根市飯田市中心市街を大とし、松川、飯島、箕輪町などを中、宮田村、南箕輪村などを中小に、さらに旧村単位の拠点となった小規模に分類できるだろう。大は面的広がりがあり、中は線的に展開している。中規模が線的であることは、都市基盤が宿場町に由来し、沿道に都市空間が形成されたことが原因であろう。大で面的に広がる都市空間は、飯田市の場合は都市基盤が城下町であり、面的であったことが原因であるが、伊那市駒ヶ根市は宿場町を基盤として、伊那市は宿場町が台地にあり、道路整備を外縁に作ることによって、また、鉄道駅を正面にした街路の整備によって面的広がりへと展開している。駒ヶ根市も同様であるが、宿場町が平地に位置したために、線状への展開が大きい。中小、小規模の線状の都市空間は、宿場町の形態を保っているといえる。
 こうした都市空間の現状は、都市機能への依存を必要とする住宅地形成も要因となっている。しかし、都市空間に住宅地が凝集する段階は、自動車交通の展開によって転換し、住宅地は拡散し、同時に都市機能も拡散していった。既存中心市街地の衰退が顕著になってきている。そこで、高層化によって中心市街地への住宅の凝集を再燃させる動きが生まれている。同時に居住環境の利便性に快適性を付加した商店街の再整備も行われようとしている。これに、成功しつつある都市が、松本市であろうが、伊那谷諸都市では、未だ、そのような整備による都市回復の可能性は見えていないのが現状である。