風致と風景 農村風景

 農村風景とは、農村住民にとっての農村景観の知覚なのであろう。柳田國男は農村景観を農村住民が生み出す過程について言及している。開拓地における残された樹木が風景として住民の生活の中で成長していく話である。また、勝原による「農の美学」の著書も見られる。農村の修景計画は、横山光雄による展開が見られ、井手久登による「景域保全論」によって、生態学的な基礎づけで展開した。
 農村地域の存在は風景の基調を作っており、人工的で過酷な都市環境を周辺から緩和する作用を持っていると考えられる。農村景観は都市住民にとっても、風景として享受される対象とされることを、国木田独歩の「武蔵野」は示している。しかし、こうした農村風景も、土地開発によって農村景観が失われ、また、農業の動向によって景観の改変や衰退が進んでいる。イギリスでは、機械化、大規模化による景観改変と後進地域の景観衰退が問題とされ、景観維持のための政策が検討された。今日、わが国で農村景観が問題となってきたことも、風景の意識の高まりと農村景観の改変、衰退が関連しているといえる。
 農村景観の変貌、衰退と関連して、都市近郊では農村地域住民の非農家、新規住民の増大による混住化が進展している。住民によって農村景観を生産環境と考えるか、居住環境と考えるかの相違が生まれていることも考えられ、居住環境として風景を評価する住民が増加していると想定された。富県区の住民に風景として良い場所の地点を5箇所づつ上げてもらう調査を行なったことがある。集計の結果言えることは、風景に関する関心は高まっており、地区の立地条件に眺望が支配されていることによって、住民に共通した風景が存在していることである。立地と視覚構造から風景となる場所が類型化できる。
 視界の距離の違いによる類別では遠中景の開放的な眺望、近景・至近景に制限された閉鎖的な囲繞景観、囲繞景観に見通しの視界が開けている眺めであり、眺望は水田、畑地の平面的広がりがその視覚を可能としている。近景の囲繞景観は、集落広場、寺社境内、森林内、谷あいなどを見出す。見通し景は、道路、水路などによって視線を誘導され、沿道の垂直要素で制限されて生じる。眺望の対象は、台地上から下方の地表に転嫁する眺めであり、仰視としては、見渡せる山地と稜線、山頂である。見る人の視野の開けた場所は、農地である。前景の農地の広がりが眺望を可能としている。
 視野の広がりのない囲繞された場所で五感の環境刺激に場の雰囲気に支配される。風景となる視野の広がりは無いが、事物のミクロな細部を緻密に感じ取る。注視の対象によって眺めが構成されるので、多様な眺めによって空間が知覚される。多様な要素によって構成された森林の林内で、複雑な感覚と多様な眺めを統合した知覚が風致として成立すると考えられる。この林内を場とする知覚を風致とするなら、林内とは異なる場においても風致の知覚が成立しているといえる。
 見通しは場の風致と遠景の風景を連続させる知覚といえる。前方に向かう移動によって遠方のものが接近してきて、風景だった眺めが、場の環境として、風致の知覚へと移行する。これを視野の構成では透視図法として提示される。直線的な道路や水路の建設が、見通しの眺めを出現させたといえる。