場所と場面の構造 時を旅する人々

 タイムマシンは空想映画の道具立てに使われることが多い。しかし、様々な時代を扱う映画は、それぞれの時代の史実を空想的に映像化している。映像によって様々な時代の空想的な映像を、ドラマの状況に従がって体験する。東洋と西洋の様々な時代、歴史的な岐路に英雄として現われた人物、その時代の上流や底辺の人々の生活、戦争などの劇的場面が再現し、歴史を追体験するのである。J・デュビニー「スペクタクルと社会」は演劇におけるスペクタクルすなわち劇的場面を取り上げている。平凡な日常生活は社会的条件によっている。社会が激動していく時、劇的な状況に人々は立たされる。現在の平穏さも次なる激動を内包しているかもしれない。実存主義哲学を主張したサルトルは状況への参加を呼びかけ、行動した。行動が状況を変革せしめるのか?と懐疑主義から脱する上で有効な思想であり、サルトルの生きた、戦後の閉塞した時代の要請でもあった。参加によって歴史のタイムマシンに乗ったのであり、劇的状況へと登場することができるのである。
 ギリシャ神話を夢想し、古代文明を考古学者と発掘したシュリーマンの業績は著名であり、私たちは、その大きな恩恵としての知識を得ている。神話は幻想やフィクションではなく、空想して考古学的な事実にたどりついたのである。タイムマシーン自体は幻想であり、フィクションに過ぎず、事実に行き当たることはないであろう。しかし、タイムマシーンを使って到達する世界は過去を空想しようとしてい、未来のヴィジョンを得ようとしている。
 空間的な長期の場所の移動が旅であるが、旅には目的地がある。目的地のない移動はさすらいであり、旅には目的地のヴィジョンがあるはずである。帰郷は過去に育った郷里への移動であるが、郷里のヴィジョンは過去で満たされており、郷里は過去の痕跡が過去を空想として呼び覚ます場所である。旅をしなくても、日常生活の場所も、過去の事跡に満たされている。空間自体が過去の空想を生み出す手がかりなのである。過去のヴィジョンを描いて空想する時、われわれは時間の旅人となる。様々な場所、時代をわれわれは、知識のヴィジョンによって移動する旅人になることができ、人類の知識の蓄積を活用することができる。この知識を使って未来のヴィジョンを描くことによって、未来をも旅することができる。
 空想:imagination 夢想:fantasy 洞察・光景:vision 幻想:illusion 虚構:fiction 光景:spectacle